今回の「ザ・作州人」は北海道三笠市で評判のワイナリーを営んでいる濱田洋文さん(67)に登場していただいた。何とあの東大医学部を卒業し、32年間がんの新薬研究に心血を注いだ元エリートドクター。2013年に56歳で退官し、ワイン醸造家の道を選んだ。一見、全く“畑違い”のように思えるが、濱田さんにとって根っこの部分は同じなのかも知れない。
こんな親切でピュアな人には滅多にお目にかかれない。大空と大地に包まれた北海道の峰延駅。軽トラで出迎えてくれた濱田さんは三つあるブドウ畑を丁寧に案内してくれ、達布山に立つ展望台にも連れて行ってくれた。眼下には空知の雄大な田園風景が広がっている。
「いい景色でしょ。あれがわたしの畑。やってみると結構大変なんですが、いいブドウからおいしいワインが生まれる。日々、奮闘中です」
5ヘクタールから始めた畑は現在15ヘクタールへ。年代の違うブドウ苗を8000本栽培中だが、夏場は野ウサギの被害に遭ったり、冬場は2メートル近い雪に閉ざされるため、気苦労が絶えない。しかし、濱田さんの優しい目はどこか笑っているようにも見える。
津山高では秀才ぶりを発揮し、国内最難関の東大医学部へ。「将来は医者になるというより、親が先生に乗せられて、この成績なら東大医学部というムードだった」と言う。1981年に卒業後は抗がん剤新薬の研究、開発製造に従事。87年に医学博士、92年には35歳の若さで癌研・癌化学療法センター分子生物治療研究部の初代部長になった。
その後も札幌医大、東京薬科大で要職を務め、実に32年間も研究者の道を歩み、大きな成果も上げた。しかし、独特の医薬業界。エリートにしか分からない悲哀もあったようだ。
「いい仕事はできたと思いますが、薬として形になるのはまれ。うまくいった後もきついんです。わたしは常に泥くさい方向に行ってしまうタイプ。研究者はバカにされる面もあるんですよ」
人生の分岐点は2013年。56歳の春に大きな決断を下したが、当然ながらためらいもあった。
「研究者として、もう少しやり遂げようという思いもありました。しかし、30年以上掛けてここまでか…と夢破れた気持ちもあった。もう1回戦やろうと思えば85歳を超えるな」と自問自答の日々が続いた。
しかし、最終的には「中途半端な気持ちで教授職にとどまるのは醜い。保身に走るのは学生たちのお手本にならないし、老害でしかない。教え子に引き継いでもらって大学をきれいに辞めよう」と退官を決意した。そこには明るい性格の奥さんのサポートもあったに違いない。
もっとも、当初はほぼ白紙状態でワインづくりをするとは決めていなかったそうだ。ただ99年から2011年まで札幌医大に勤務。北海道とのつながりができたこともあり、野菜づくりを思い立ち、さっぽろ農学校へ。そこから旧産炭地の三笠市が新規就農者を支援していたこともあり、ワインづくりを学び、いまに至る。
「医学界で培った人脈が全く通じない立場で、伸び伸びした仕事がしたかったのと、ハレの日に飲まれるお酒をつくり、みんなに楽しんでもらおうと思ったんです」
桃栗三年、柿八年ではないが、ワイン用のブドウ栽培を始めて3年後の19年秋に初リリースすると「ほんのり優しく心地いい酸味を感じる」として即完売。その後も「医学博士のつくったワイン」として人気を博している。
しかし、濱田さんの凄いところはこれだけではない。何と、ここに来て自身が発明したユニークな方法で得られた抗体を用いた乳がんや肺がん治療の新薬が米国食品医薬局(FDA)への承認申請が受理され、来年早々に最終局面を迎える。さらにもうひとつ、この方法で得られた別の抗体を使っての卵巣がん治療臨床試験も進行中とのことだ。
「ひとつは認可されそうなんですが、実はわたしのところにはあまり情報が来ないんですよ。でも、ブドウの成長が慰めになってくれています。風が流れる畑で第2の人生を楽しんでいますよ」
別れ際、峰延駅でいつまでもいつまでも手を振ってくれた濱田さん。そんな心配りと北の大地がきっとワインの香りを豊かにしているのだろう。来年の新薬の認可も気になるが、その前にこの秋、医学博士が丹精を込めてつくられた「ハマダワイン」がリリースされたら即買いする。(山本智行)
◇問い合わせinfo@hamadavineyard.com
◇濱田洋文(はまだ・ひろふみ)1957年1月17日生まれ。津山高から東大医学部へ。87年医学博士、92年癌研・癌化学療法センター分子生物治療研究部部長。札幌医大、東京薬科大教授を経て2013年退官後に農業を学び、就農。15年に長男・玲央さんら家族3人でワイン造りを始め、19年秋に初リリース。妻の恭子さんもドクター。