津山洋学資料館のオムニバス講演会「洋学あれこれPart?」が30日、西新町の同館GENPOホールで開かれ、学芸員の研究報告に市民ら約50人が興味津々に聞き入った。
前半は近都兼司学芸員が津山藩医らと温泉にまつわる記録をクローズアップ。1828(文政11)年、宇田川玄真(1769―1834)から痔疾で湯治に行くため熱海温泉を調べるよう頼まれた養子の宇田川榕菴(1798―1846)が日本人初の泉質調査に挑み、その後16年かけて諸国の温泉を分析したことを話した。
「簡単な試薬で酸・アルカリ性を鑑定し、湯原温泉については透き通り、少し塩味のあるアルカリ性単純泉と記録。また温泉は時が経つと効能がなくなると認識し、人工でも炭酸ガスが多ければ天然に勝ると思い込み、鉱泉仮造法として『舎密開宗』に相当のページを割いた」などと説明。さらに1854(嘉永7)年、箕作阮甫(1799〜1863)が長崎でロシアとの外交交渉を終え、江戸へ帰る途中に立ち寄った佐賀県の武雄温泉について「鏡のように澄みきっており、皮膚と肉の引きつけが緩んだ」との感想を記したことも紹介し、来場者は熱心に耳を傾けていた。
この後、小島徹館長から最後の津山藩主、松平慶倫が廃藩置県の直後の1871(明治4)年に病死した際、医師の容体書に残された最期の様子についての話もあった。
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津山藩医と温泉にまつわる話に聞き入る参加者
「洋学あれこれ」オムニバス講演会
- 2022年2月2日
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