【ザ・作州人】「衆楽舎」代表・北川敬博さん

ザ・作州人 北川敬博さん
北川敬博さん
         

作州人九五

◎ノーザンオカヤマは宝の山

「衆楽舎」代表・北川敬博さん

 今月の「ザ・作州人」は長年アパレル業界で活躍し、現在は岡山県北の魅力を発信する「衆楽舎(シュウガクシャ)」代表を務める北川敬博さん(66)にお越しいただいた。郷土への誇りを持ってもらうためにはどうすれば良いか。自身の気づきと仲間の力をベースに、ファッション業界で磨かれたセンスとアイデアを生かし尽力している人物だ。
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 良いもの、良い人がたくさん存在するのに知られていない。何より自分たちがそのことに気づいていないのはもったいない。「衆楽舎」を立ち上げた北川さんは、自身の故郷津山市を拠点にノーザンオカヤマの魅力を独自の視点で取り上げ、豊富な人脈を駆使して発信している。
 「何事にも必要なのはセンスとブランディング力。県北には食、音楽、工芸、伝統などで知られていない魅力がまだまだたくさんある。その発信力が少し弱いだけなので、もっと巧く広めていかなければと思っています」
 衆楽舎のネーミングはご存じ、旧津山藩別邸庭園「衆楽(しゅうらく)園」にあやかったもので大衆音楽のように多くの人に楽しんでもらおうと、あえて”しゅうがく”と読んでもらうようにした。
 現在は北川さんら7人のメンバーからなり、 21年に津山市田町の「田町文化ストア」を拠点に活動を開始。積極的に音楽イベントやアートイベントなどを多数開催した。 24年末、建物の老朽化に伴い一旦閉鎖した。しかし、カフェとレコード店は小田中の「カフェクローク」「音虫レコード」として新たに歩みを始め、思いを受け継いだ次世代の担い手がそれぞれ意欲的に活動を続けている。
 また東京都内の商業施設では「ノーザンオカヤマ ブルース ポップアップストア」と銘打って県北の工芸品や食品を出展。文化的な観点から県北の魅力を創出、発信する活動を展開している。
 24年開催の「森の芸術祭 晴れの国・岡山」に合わせては大手町の関連ビルで「森の文化祭」を催し、盛り上げに貢献した。今後はこちらのビルを活用するために現在リノベーション中とのことだ。
 このようにノーザンオカヤマは魅力たっぷりだが、北川さんも負けていない。衆楽園周辺で少年期を過ごし、津山高ではハンドボール部。2学年上には前NTT西日本社長の小林充佳さんがいて、強豪だったそうだが「僕らの代はいいかげん。練習もせずに試合して、何かあったら相手に突っかかっていくようなチームでした」と首をすくめた。
 そこから立命大法学部へ。たちまちアルバイトに熱中し、学業がおろそかになった。士業を目指すことを口実に大学5年目に突入。しかし、試験に落ち、方向転換を迫られた。
 「サラリーマンになる感覚はずっとなかった。なのでどうせ、すぐに辞めるんだったら好きなことやろう」
 そこで浮かんだのは車、音楽、ファッション。「不勉強で世間知らずな人間」だったそうで片っ端から会社訪問してみた。一度などカタカナの格好良さそうな会社名にひかれ、原宿にあるレコード会社まで足を運んだら演歌を扱っていたそうだ。
 ファッションでは当時DCブランド黎明期。東京のDCブランドと並行して岡山にジーンズメーカーがあることを知り、軽い気持ちで児島のアパレル2社にアプローチした。するとうまくことが運び、地元で頑張るのも悪くないかと株式会社「ジョンブル」にお世話になることになった。
 「入社してみると現実の業績は厳しく、先輩たちはどんどん辞めていく。よし、それなら見返してやろう」
 商品企画での働きぶりが認められ、 28歳で早くも専務。 33歳で当時年商8億の会社のトップを任されるとDC的アプローチから本来のアメリカンカジュアルに舵を切り、業績を伸ばした。 38歳で念願だった原宿に進出。なんと10億円の予算で自社ビルを建てた。
 「当時は無謀というか冒険でしたが、 20年かけて完済。いま思えば正解でした。後進も育ちましたし、ね」
 若い世代に繋いでいくというのがテーマの社風でもあったので、早くから事業継承を意識し、 60歳で社長を退任。ちょうどコロナ禍で行動が制限され、出社できなくなったこともあって潔く会社も離れた。
 「動いていることが好きだし、自分でも時代の変化には鋭敏だと思う。新しいことが好きだし、寂しさはもちろんありましたが、2度目の人生、周りからは潔いと見られたかもしれませんが、ワクワクしかなかったですね」
 そんな中での活動のひとつが衆楽舎。当時は一人暮らしの母親が実家に住んでいたので帰る機会が増えた。その際、津山市のサポートを依頼されたり、ゆかいな仲間と巡り会ったことで地元の魅力に気づくことにつながったわけだ。
 今回、取材で訪れたのは大阪・農林会館3階のセレクトショップ「オッドナンバーズ」。ここは北川さんが以前オーナーとして関わっており、津山にある「岡山田原コンサート」のブランディング活動としてのスーツブランド「ABLUECONCERT」の立ち上げにもつながっている。
 「これからも人と人、地域と地域を結んで行くつもりですよ」
 津山市長選は終わったが、大事なのはここから。今後ますます北川さんの存在がクローズアップされていきそうだ。
   (山本 智行)

◆北川敬博(きたがわ・ゆきひろ)1960年1月10 日生まれ。立命館大法学部卒。倉敷市の老舗ジーンズブランド「Johnbull」に入社し、 28歳で専務、 33歳で社長となり、事業を拡大。2019年退任後に「衆楽舎」を立ち上げ、岡山県北の魅力を発掘・発信し続けている。


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