今月の 「ザ・作州人」 は、 ものまねタレントとして、 いま最も勢いのある小林穂高さん(31)に登場してもらった。 2度の挫折を乗り越え、 大ファンだった 「福山雅治」 のものまねで一躍、 有名に。 その後、 映画デビューする幸運にも恵まれた。 ブレークのきっかけはSNSによる動画配信。 しかし、 その予兆は津山高専時代の文化祭にあった。
なるほど、 その声とそのたたずまい。 確かに福山雅治さんによく似ている。 いまやテレビのものまね番組に引っ張りだこの小林さん。 しかし、 素で話す姿はいたって自然体で謙虚だった。
「少しずつ名前は知られては来ていますが、 まだまだです。 芸能活動としては4年目なので今年が大事。 自分ができることをしっかりと取り組んでいきたいです」
津山西中ではバレーボール部に所属し、 センターとして岡山県の選抜ジュニア候補にも選ばれた。 当時は歌や音楽活動はやっていなかったという。
そこから津山高専の情報工学科へ進み、 プログラミングを学びながらギターを始めた。 ちょうど同じころ、 憧れだった福山さんが主役を演じるNHK大河ドラマ 「龍馬伝」 がスタート。 ファンクラブに即入会したという。 文化祭 「弥生祭」 では福山さんの楽曲をカラオケで歌い、 優勝。 「似てる。 似てる」 とだれかれなく声を掛けられた。
ただし、 そのころは上京したい一心。 ちょうど坂本龍馬が土佐藩を脱藩したように津山高専を3年で修了し、 高卒認定を受けると、 東京の日本工学院八王子専門学校へ。 しかし、 たちまち大都会の荒波に飲み込まれ、 挫折感を味わった。
「上京すれば夢がかなう。 そう思って専門学校に通いながらバンド活動を始めたんですが、 何をやっていいか分からない。 自分は”何者でもない”と思い知らされ、 心が折れてしまいました」
専門学校には2年間在学。 その後は品川プリンスホテルに7年間勤務し、 フロント業務や宴会部門などホテルマンとしてひと通りの仕事をこなした。 その中にはエンターテインメント部門もあり、 営業をかけたり、 出演者のアテンドをすることもあった。
ただ、 生活も安定しており、 芸能界への興味も半減。 当初の志はすっかり薄れていた。 ここまでは割とよくある話。 しかし、 2020年にコロナが広がったことで心境に変化が生じたと言う。
「特にレジャー産業には厳しく、 お客さんも減りました。 雇用は守られており、 あのまま品プリにいても未来はあったと思いますが、 このままではいけない。 もう一度夢を追おう。 そう思ったんです」
一念発起し、 27歳で脱サラ。 コールセンターや居酒屋でアルバイトをこなす一方で都内の芸能養成所に通いながら世に出るチャンスをうかがった。 しかし、 世の中は甘くない。
「名前を覚えてもらおうと、 通行人役の仕事やモデルの仕事をやりましたが、 2000〜3000円程度。 たまにお年玉ぐらいもらったときもありましたが、 二足のわらじを履いていた1年半は本当にきつかった。 2度目の挫折でした」
そんなある日、 自宅で悶々 (もんもん) としているとピンとひらめいた。 そうだ。 高専時代に福山雅治さんの曲を歌って褒められたことを思い出し、 ものまねをしてSNSの動画でアップ。 すると再生数が一気に増え、 名前を認知されるきっかけとなった。
これが22年春のこと。 そこから難関のオーディションを通り、 その年の10月15日にフジテレビ 「ものまね紅白歌合戦」 で番組初出演。 「お台場のあの球体を見たときは感動しました」
これをきっかけに各局のものまね番組に呼ばれるようになり、 23年には芸能事務所 「アヴィラ」 に所属。 すると今度は加賀温泉を舞台に若女将の成長を描き、 小芝風花が主演した映画 「レディ加賀」 のオーディションに受かり、 俳優デビューを果たした。
「これは本当にうれしかったです。 死ぬまでに名を残したいと思っていたので映画に出演すると名が残る。 生きた証になりますから。 名前は芸名ではなく本名。 福山さんも本名ですしね」
穂高の由来は母が山が好きだったからだそうで謙虚な姿勢は 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 を地で行っているからか。 とは言うものの、 目標は穂高連峰のように大きかった。
「やはり一番は福山さんのものまねで日本一になること。 ただ、 まねるんじゃなく表現力を磨いて自分の武器として1本の刀にする。 そしてレパートリーも広げ、 マイク1本で勝負できるようになる。 また俳優としても芸を磨き、 30代か、 40代、 50代かは分かりませんが、 花開くように。 いまやれることを勇気を持って取り組んでいきます」
大切なのは自分を信じること。 なるほど、 実に面白い。 小林さんにはまだまだ伸びしろがありそうだ。 (山本 智行)
◆小林穂高 (こばやし・ほだか) 1994年8月26日生まれ。 津山西中から津山高専を3年で修了し、 日本工学院八王子専門学校へ。 7年間のホテル勤務後、 アルバイトをしながら芸能活動し、 2022年にものまねタレントデビュー。 24年に映画 「レディ加賀」 で俳優デビュー。 つやま産業支援センター特命大使も務める。
