今回の「ザ・作州人」はバングラデシュで、あのロヒンギャ難民の支援活動にあたっている近藤理恵さん(45)を紹介する。これは政府開発援助(ODA)プロジェクトの一環。パキスタンやドイツで人類学を学んだ経験を生かし、現地の責任者として最前線で対応にあたっている。その過酷さは、やはり想像を絶するもの。人並み外れた慈悲深さや正義感がなければできない激務だ。
世界は一体どうなっているのか。ウクライナ侵攻をはじめ、理不尽な戦争や紛争が相次ぎ、各地で多くの難民が発生している。ゆがんだ権力者による不毛な争いは20世紀で懲りたはずなのに、同じ過ちをいつまで繰り返すのだろうか。
どうにかしなければ。そう思いながら多くの人が手をこまねいている中、危険を顧みず、地道な支援活動をしているのが近藤さんだ。
現在はバングラデシュ南部、ミャンマーとの国境に近いコックスバザールに在住。ここはいわゆる「ロヒンギャ」として知られる人々が住む世界最大の難民キャンプがあり、100万人以上が暮らしているとされる。
「日本人の職員は私ひとりです。避難民が住む地域の貧困層に属する女性に農業指導などを通じての生活支援やインフラ整備などを行っていますが、人口は増え続け、避難民を受け入れている地域の人々の生活も困窮しています」
治安は悪く、インフラも整っていない。停電は日常茶飯事だとか。そんななか、日本とバングラデシュの間に入って調整役をこなしているが、何事もポジティブにとらえられるのが近藤さんらしい。
「双方の考え方の違いを把握し、双方が納得のいく説明をしなければならないというのは大変です。一方で、援助をしている人々から喜ばれるのは大きな励みですし、何気ない日々の雑談や知らない文化に触れられるのも楽しみです」
岡山県真庭市にある久世中から勝山高へ。子どものころは本ばかり読んでいる目立たない存在だったという。おそらく、自分との対話を繰り返していたのだろう。
「勉強は好きでしたが正直、学校に行くのは苦痛。高校もしばらく不登校の時期がありました。ただ、子どものころから海外に興味があり、中学生の時に独学でフランス語を始めました。読書をするか絵を描くか。そんな生活でした」
卒業後は大阪で事務職などしながら個展を開く一方でインドなどを旅行。その際には独学で英語をマスターしていたというから根っからの努力家なのだろう。そこから人類学を学びたくなり、パキスタンの大学へ。ところが講義は英語ではなく、ウルドゥー語で行われており、入学して最初の1年は戸惑いも大きかったそう。
しかし、持ち前のガッツで猛勉強。2年目からは大学院を目指せる成績となり、南アジア地域の研究で世界的に定評のあるドイツ・ハイデルベルグ大学の大学院に進んだのだから恐れ入る。
修了後は実はアフガニスタンでの仕事を希望していたそう。しかし、昨年末にタリバン政権によって女性の就労が禁じられ、バングラデシュで働くことになった。
「想定外でしたが、いまは新たにバングラデシュの言語や文化について学んでいる最中です。ドイツでの院生時代に知り合ったバングラデシュの友人たちに勉強を助けてもらえてますし、私は常に人に恵まれていると思っています」
パキスタンに留学以降は全く日本語を使う環境になかったが、今年7月に9年ぶりに一時帰国。故郷の山々を眺め、決意を新たにした。今後も南アジア諸国で女性の人権問題、難民問題に取り組んでいく意向。また仕事と並行して絵画の活動も続ける考えだ。
「紆余曲折もありましたが、いまは自分の能力がいかせる場所にたどり着くことができ、満足しています。たまには帰省して自信をもって作州人を名乗れるようになりたいですね」
こんなワールドワイドな女性がいることをもっともっと知ってほしいと思った。
◇近藤理恵(こんどう・りえ)1978年生まれ。真庭郡(現真庭市)久世中から勝山高。事務職などを経てパキスタン、ドイツの大学で学び、現在はバングラデシュにてミャンマー避難民問題に取り組む。芸術活動も行っており大阪で個展2回、ドイツ・ハイデルベルグ市で常設展示販売。趣味はバイオリン、水泳。