◎糸と心で世界をつなぐ熱血商社マン
株式会社「三景」取締役経営戦略部門部門長 狩野哲郎さん
今月の「ザ・作州人」は大手総合商社「伊藤忠商事」に長年勤務し、現在はグループ会社「三景」の取締役を務める狩野哲郎さん(53)に登場してもらった。硬軟織り交ぜた交渉力の持ち主でオーガニックコットンを世に広めた張本人。その一方でバングラデシュ赴任時には同国の野球代表チームのコーチを務めた希有な存在だ。
生まれ変わったら商社マンになりたいと思っている。世界を飛び回り、モノや人を結び、より良い世界に変えていく。それに、とある情報によると給料もいいらしい。
今回、狩野さんの人柄と足跡に触れ、ますますその思いが強くなった。1994年に5大商社のひとつ伊藤忠商事に入社し、振り出しは祖業でもある繊維部門。以来、30カ国以上を訪れ、原料からブランドまで幅広い分野を駆け抜けてきた。
「入社当時はまだテレックスの時代。今年はパキスタンで綿花が豊作だとか、アメリカにハリケーンが来たとか、ダイナミックな情報戦があり、それによって相場が左右されました」
常に世界へ向け、アンテナをピーンと張っている状態。ところが、相場を見誤り、会社に大きな損失を与えたこともある。「契約をキャンセルして来い」と上司に注文伝票をバリッと破られ、それをセロハンテープで貼ると、再びビリッと破られたそうだ。
一方で業界を超えたユニークなビジネスも構築した。当時ようやく知られ始めたオーガニックコットンの販売を2006年から担当。それこそインドの山奥に乗り込み、修行こそしていないものの、何とかして普及させようと頭を悩ませた。
そこで「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の精神で手持ちのあらゆる人脈を駆使したところ、有名音楽プロデューサーで環境活動にも取り組む小林武史さんにたどり着く。ここでオーガニックコットンを広めたいという強い思いが通じ、なんとミスターチルドレンの15周年記念ツアーグッズとして環境に優しいTシャツやタオルを販売することになった。
「どんだけ売れるか分からないけれど、世の中に広めるチャンス。乗っかるしかない」
すると、これが爆発的にヒットし、オーガニックコットンを定着させた仕掛け人として業界に認知される。それが42歳でのハンティングワールド・ジャパンの副社長昇進につながるわけだが、小林さんとの交流は栽培農家を支援する「プレ・オーガニックコットン・プロジェクト」以降も形を変えながらいまも続いている。
「あのような方とお付き合いできるのは大変光栄なことです。小林さんは18年の西日本豪雨の際には総社市にAPバンクによるボランティアの拠点を設置。洪水に遭った岡山西部の被災地を支援してくださいました」
そんな狩野さんは津山高の硬式野球部出身。投手だったところは私と同じだが、横浜市大に進んだ後も野球を続け、チームを神奈川大学野球リーグの一部に引き上げている。
しかも、アルバイトをしていた日本料理店では腕を見込まれ、板長を任された。月収は当時の伊藤忠商事の初任給よりも多かったとのこと。就活では伊藤忠の他に三和銀行、日本生命、JTBの業界大手ばかりという何とも大胆な行動に出たが、ダメなら板前になればいいと考えたがゆえか。「三枚おろしのできるピッチャー」という自己PRが功を奏し、伊藤忠の内定を勝ち取った。
野球では入社後も投手兼監督として関西商社リーグで9度の優勝に貢献。さらに20年にダッカ事務所長として赴任すると、人手不足を見かねて練習を手伝っているうちにバングラデシュの野球代表コーチに。足りない野球道具を日本のスポーツメーカーなどから調達している中で巨人ともつながりができ、国交樹立50周年の記念事業として巨人のコーチを招く橋渡しをしている。
「一期一会を大切に。人は回り回ってつながっています。あと、肩で風切る王将よりも歩の心を持ちたいです」
一見、アバウトなようで繊細。狩野さんがここまで人を引きつけるのは、まずは奉仕の精神にある。仕事においては利益を出しつつ、信頼され、心と心でつながっているからだろう。さらに、もうひとつ。自宅に招き、得意の料理を振る舞うことで顧客の胃袋をがっちりつかんでいることも大きい。やはり、芸は身を助ける。
津山にいる中高生に向けては「勉強だけ、スポーツだけでなく、いろんなことへチャレンジし、幅広い分野の人との出会いを大事にし、津山から世界へ羽ばたき、そして津山にいつか恩返しをしてほしい」とエールを送った。私にとっては自慢の後輩でもあり、憧れの商社マン。狩野さんには人生という名のマウンドでエース級、いやMVP級の活躍をしてほしい。(山本智行)
◇狩野哲郎(かのう・てつろう)1971年5月15日生まれ。津山高から横浜市大を経て94年に伊藤忠商事入社。綿花、綿糸を16年間取り扱い、インドや中国との窓口に。2006年からオーガニックコットンも担当し、その普及に尽力。10年にブランドビジネス部門に配属され、13年にはハンティングワールド・ジャパンの副社長。20年伊藤忠ダッカ事務所長を経て24年から現職。妻と一男一女。