今月の「ザ・作州人」は、商業教育の一環として観光ビジネスの人材育成に力を入れている笠木秀樹さん(68)に登場してもらった。岡山県下の商業科教員を長年務め、現在は宮崎産業経営大学の教授として商業科の教員を養成。宮崎県産業教育審議会の会長として社会の変化を見据えた学科、学校づくりに取り組む一方で郷土の魅力を伝えようと「美作の国つやま検定」を主宰している。
いきなり問題です。
問 津山市のシンボルである津山城趾(鶴山公園)に関係ないものはどれか
①日本100名城 ②日本さくら名所100選 ③日本の公園100選
問 昭和天皇がニューヨークタイムズ紙で語った最も影響を受けた人物とはだれか
①宇田川興斎 ②箕作元八 ③箕作省吾
問 津山まなびの鉄道館にある当時国鉄が1970年に唯一、1両だけ製造したディーゼル機関車はどれか
①DE50 ②DD51 ③DE10
この2月8日に「美作の国つやま検定」(同実行委主催)が行われた。今回で14回目。実際は50問出題され、100点満点中90点以上で合格、60点以上あれば準合格となるそうだ。
「津山信用金庫は会社全体で取り組んでくれています。市議も数名が合格されていますが、もっと広めていきたい。ぜひ、多くの人にチャレンジしていただきたいです」
この検定は津山の歴史や文化、産業など多分野にわたり、津山の魅力を発信するとともに、次世代に語り継いでいくことを目的に始まった。津山朝日新聞にも毎月2回問題が掲載されており、合格を目指す方には参考になっている。
ただ、スタート直後に1年ブランクがある。再興させたのが他ならぬ笠木さん。津山商の指導教諭時代に引き継ぎ、生徒たちとともに活動。そこからずっと主宰している。
「人より先んじること。そして足跡を残し、社会に重宝がられる人間になることを目指してきました」
テーマを掘り下げ、研究を重ねていくのが性分なのだろう。作陽高から京都産業大へ進むと商業科の教員を目指して会計学を専攻し、大学の代表として関西学生会計学研究会の運営に携わり、研究を進めた。卒業後は母校へ。その後、勝山高湯原分校、津山東へ。そこからより専門性を高めようと兵庫教育大大学院へ進み、学校教育学などを2年間学んだ。
また、社会教育においても、レクリエーションの分野で活躍。津山市体育指導委員を長年務め、津山市より市政功労表彰を受ける。20代で県下初の上級指導者資格を取得し、県下の大学等で指導者の育成に関わるとともに全国的に活躍。岡山県レクリエーション協会専務理事も務めた。
一方で津山商、岡山東商で教壇に立ち、53歳のときに県下の商業科としては初めての指導教諭のポストに着任。授業を参観した文科省教科調査官から「わくわくする授業だ」と称賛され、そこから文科省の多くの委員を歴任することに。その1つが現在の学習指導要領の改訂作業への参画である。こうして長年、商業教育の研究を積み重ねるとともに北海道から沖縄まで商業科の“先生の先生”として授業の進め方などを伝授するため、今でも全国を飛び回っている。
定年後は、岡山県立大学でおかやま創生学のコーディネーターとなった。その後2020年に宮崎産業経営大学へ招かれ、23年から経営学部教授。商業教育界のレジェンドとして知られ、これまでの主な足跡としては全国の大学でも採用されている「商業科教育法」の編集に携わり、高等学校検定済み教科書「ビジネス基礎」「ビジネス・コミュニケーション」「観光ビジネス」などを執筆。さらに現在、宮崎県産業教育審議会の会長という重責を担い、少子化など社会の変化を見据えた産業教育のあり方を検討する中心的な役割を担っている。
「観光はこれからの希望の星です。しかし、観光業界は慢性的な人材不足。労働環境が悪いイメージがあるので、いかに魅力があり、やりがいのある職業かということを高校生から伝えていく必要があります。人生最後のライフワークとして観光ビジネス教育の必要性を訴えています。だからこそ宮崎県にも観光学科の設置をすすめています」
インバウンドは増大し、石破内閣の下、地方創生2・0が動き出そうとしている。確かに観光ビジネスは若者の都市部への流出を防ぎ、地方活性化の重要なキーワードとなるのは間違いない。そのためには世界を知り、地元の魅力を相互理解することが大切で、その人材育成は急務だ。
そこで私も冒頭の「美作の国つやま検定」過去問にチャレンジしてみたのだが…。なかなかマニアックなものばかり。勉強不足を痛感するばかりだった。
◇笠木秀樹(かさぎ・ひでき)1956年6月15日生まれ。作陽高から京都産業大、兵庫教育大大学院を経て津山商や岡山東商などで教諭、指導教諭。その後、岡山県立大コーディネーターを経て宮崎産業経営大へ。23年から教授、高大連携センター長。その一方で「美作の国つやま検定」にも長年携わる。
