2024年最初の「ザ・作州人」は新春にふさわしくスタイリッシュな女性経営者に登場してもらった。映画「バケモン」(2021年公開)をはじめ、数々の人気テレビ番組を手がけている敏腕プロデューサーの井上啓子さん(58)=岡山県津山市出身、株式会社「クリエイティブネクサス」代表取締役社長、エグゼクティブプロデューサー=がその人。映像の力を信じ、観る人の心を揺さぶる作品を次々と生み出してきたが、その背景にあったのは意外にも〝反骨精神〟だったとは。
会社があるのは東京・六本木。出迎えてくれた井上さんの笑顔はあのころのままだった。実は彼女とは高校の同級生。つまり〝B’z稲葉世代〟だ。ということで、話はどちらともなく今年8月、地元(B’zの稲葉浩志さんの地元でもある)でのライブへ流れていった。
「津山は凄いことになるだろね」
「同級生、みんなで集まりたいよね」
そのとき、ふと思い出した。そう言えば井上さんも高校時代にガールズバンドを結成し、キーボードを担当していたっけ。「十六夜祭」では稲葉のバンドより注目度は高かったような気がする。
「YMOのコピー。バンド名?忘れちゃった」
実は映像の道に入る前段階も津山で培われたものだった。津山市立鶴山中からの帰り道。川沿いのきれいな夕陽を眺めながら頭の中でオーケストラを奏で、自宅に戻ってからは3歳から始めたピアノで曲を作っていたという。
運命が大きく動いたのは高2の年末。黒澤映画「影武者」を観て「映画なら映像と音楽を一緒にできるじゃん」と気づき、日大芸術学部映画学科へ舵を切った。しかし、当時の先生方からは「なに!お前、女優にでもなろうと思うとるんじゃないだろうな」と、たしなめられたそうだ。
日大では気の合う仲間とドキュメンタリーを撮りまくる青春の日々。卒業後は一時、映像配信会社に就職したものの「ソフトをつくる力をつけないといけない」と実感。すかさず、現在の制作会社に転職したわけだが、そのあたりの嗅覚はさすがというしかない。
その後は下積みを経てディレクターに。しばらくは地味なドキュメンタリーばかりをつくり、低空飛行を続けていたそうだが、先輩のアドバイスもあり、バラエティーに進出。ダチョウ倶楽部を起用したロケ番組が受け、高視聴率をマークした。
仕事の幅を広げた成果が出たのは30歳のときだ。日本テレビ「スーパーテレビ情報最前線 突然、妻が痴ほう症になった」で切実な社会問題に切り込み、ドキュメンタリーとしては異例の視聴率17%を獲得。第14回ATP賞「郵政大臣賞」など数々の賞を受賞し、業界で不動の地位を築いていった。
「男女雇用機会均等法ができた年に社会人になり、それでもまだ女性ディレクターが少ない時代。珍しさもあったからでしょう。運が良かっただけ」
井上さんは謙虚な言葉を並べたが、当然そんなことはない。カメラワークもさることながら取材者の同意を得る胆力と誠実さ。時代が求めているものを読み取る洞察力を日ごろから鍛えているからこその賜物だろう。
2020年には会社のトップに立ち、働きやすい環境を整えてきた。その一方で、番組の全責任を負うプロデューサーとして活躍。笑福亭鶴瓶の生き様を追った映画「バケモン」やテレビ「グレーテルのかまど」「ねこ育ていぬ育て」「所さん!事件ですよ」などなど、ユニークでタメになる番組を世に送り出している。
この仕事のやり甲斐を聞くと「視聴者からの反応。お手紙がたくさん届き、電話が鳴り止まないときなんか、本当に励みになります」と、とびっきりの笑顔を浮かべた井上さん。しかし、制作の原動力になったものがもうひとつある。
それは少女時代に地元で味わった忘れられない思い出だ。実は弟さんが知的障がい者で、ある日家族で市内の飲食店に入ったところ、嫌な顔をされ、店を出たことがあった。
「弟は脳は壊れていても心は壊れていなかった。そのことを伝えたくてドキュメンタリーを撮り続けていました。でも、この仕事を続けるうちに〝大切なことは自分自身の中にある〟ということに気づかされました」
正月。今回の写真を見て書き初めに「ぜい肉退治」としたためたように茶目っ気もある。同級生の井上さんはただ格好いいだけの女性ではなかった。(山本智行)
◇井上啓子(いのうえ・けいこ)1965年2月25日生まれの58歳。津山高から日大芸術学部。映像配信会社を経て映像制作会社「クリエイティブネクサス」へ。ディレクターとして活躍し、30歳のときに制作したドキュメンタリーで賞を総なめ。2020年から現職。プロデューサーとして「グレーテルのかまど」などを担当。