◎感謝、感謝、感謝…
プロ野球オリックス打撃コーチ 髙橋信二さん
各界で活躍する「作州人」を取り上げる人気コーナー。今回はプロ野球の日本ハム、巨人、オリックスで捕手、一塁手として活躍した高橋信二さん(45)に登場してもらった。オールスター3度出場の輝かしい実績を持ち、現在はリーグ4連覇を目指すオリックスの打撃コーチ。その一方で〝津山愛〟に満ちあふれたナイスガイでもある。
18歳で津山を飛び出してから一度もユニホームを脱いだことがない。これがどんなに凄いことか。シビアな世界。野球ファンでなくても分かってもらえると思う。
「ここまで多くの人と出会い、お世話になってきました。必要なことは必ず起こる。1秒のズレもなく。少し大げさですが、そう感じずにはいられません」
津山工では赤木恭吾監督の下、黄金期を過ごした。強肩強打で俊足の大型捕手。とはいえ、ほぼ無名の存在で大学進学が決まりかけていたところ、1996年ドラフト7位で日本ハムから指名された。
「驚きましたよ。授業中に知らせを受けたんですが、だれもプロなんて思ってなかった。津山からですからね。全くの別世界でした」
入団後はレベルの差を痛感。2軍でもがき、理不尽なことも経験もした。しかし、2年目の8月にひとつの転機が訪れる。ヤンキース傘下のチームに留学。そこで、のちに日本ハムの監督になるトレイ・ヒルマン氏の指導を受けた。
「慣れない環境で向こうの選手にはからかわれたり、罵声を浴びたりもしました。しかし、段階を踏んで長所を伸ばす指導法に出合い、野球観が180度変わりました」
ただ、1軍に定着するまでにはなお時間を要し、覚醒したのはプロ7年目の03年。巡り巡って、この年就任したヒルマン監督の抜てきに応え、レギュラーの座をつかむと、翌年はシーズン26本塁打を放ち、オールスターに初選出された。
実はこのとき、スポニチのデスクだった私も長野であったオールスター戦に同行。あの夜、語り継がれる〝新庄のホームスチール〟を目撃するわけだが、試合前には当時、津山市議会議員だった父・誠さんを取材してもいる。
その後、髙橋さんは四番を打ち、09年には打率3割をマークして日本シリーズに出場。パ・リーグ一塁手部門でベストナインとゴールデングラブ賞も獲得し、1億円プレーヤーにもなった。
そこから巨人、オリックスへとトレードも経験。最後は独立リーグ信濃で現役を終え、16年から指導者として古巣の日本ハム、オリックスから声を掛けられ、いまに至る。
「6年間の下積みは長かったとは思わないです。土台作りには良かった。途中からこれだけはやっておこうと、気づきがあったし、腐ることなく取り組み、周りから段々と認められるようになりました」
現役時に打撃で取り組んできたのは股関節の硬さを克服することと、いかに体重移動をスムーズにするか。コーチとしてのベースはこれらすべての経験だが、それらを一方的に伝えることはなく、選手が納得し、力を発揮しやすい環境を整えることを最優先。人望も厚く、若手選手からは「信二さん」と慕われている。
「上から自分の価値観を押しつけることはしません。プロセスを大事にし、よりシンプルに分かりやすく伝えることを心がけています。打席での考え方を伝え、視野を広げるように。自分の行ったことがない所へ、人を連れて行くことはできませんから」
そのためには自身もメンタル面の勉強に励み、日々の筋トレも欠かさない。そんな信二さんは、こちらが驚くほど〝津山愛〟も凄かった。この連載「作州人」の趣旨にも大いに賛同してくれ、実は今回の取材の大半が「津山を活性化するにはどうしたらいいのか」がテーマになっていたほどだ。
「城下町で、自然もたくさん残っている。津山で育って良かった。津山に戻ったらみんなが集えるこんないい場所がある。若い人にそんな場所を提供したい。そのためだったら何でもやりますよ」
好きな言葉の「感謝、感謝、感謝」には高橋さんのこれまで歩んできた人生と人柄が伝わってくる。津山にいる若い世代には「実を言うと、自分は超マイナス思考だった。安全な方を選びがちだが、怖がらず、何事にもチャレンジしてほしい」とエールを送った。
現在は宮崎でキャンプ中。野球人としてさらに上を目指すのはもちろん、人材豊富な作州人の中にあっても中心選手として活躍してくれるに違いない。
(山本智行)
◇髙橋信二(たかはし・しんじ)1978年8月7日生まれの45歳。津山工から1996年ドラフト7位で日本ハム入りし、巨人、オリックスに所属。オールスター出場3回、ベストナイン、ゴールデングラブ賞各1回。引退後はBC信濃を経て日本ハム、オリックスのコーチ。長女はタレントのたかはしまお。