2023年最後の「ザ・作州人」を飾ってくれるのは、あの「ボートハウス」を手がけ、1980年代の若者文化に一大ムーブメントを巻き起こした株式会社「ジョイマーク・デザイン」代表取締役・下山好誼さん(76)だ。アパレルデザイナーとして22歳で起業し、実に半世紀以上にわたって大活躍している底力の持ち主。それを支えたのは人との出会い、それと夢への情熱だった。
今年一番の衝撃だった。何しろ「ボートハウス」といえば、私たち60歳前後の世代にとっては青春時代に憧れたブランド。あのトレーナーを着れば、モテたような気持ちにさせてくれる魔法のような力を持っていたが、それを手がけた人が「作州人」だったなんて、それこそ奇跡だと思える。
「僕は好きなことをずっと追いかけて来ただけ。気がつけば、いまの年齢になってた感じですよ」
76歳とは思えない生き生きとした表情。海やアメリカの自由なカルチャーを愛し、それを「BLUE TRADITIONAL」と名づけ、ぶれることなく取り組んできた。だからといって頑固さはみじんもなく、話していると気さくな人柄がにじみ出ていた。
岡山県柵原町(現・美咲町)出身。鉱山で栄えた町の呉服店の次男坊として裕福に育ち、映画が大好きな少年だった。しかし、やがて鉱山はすたれ、家業が傾くと、なんと15歳の秋、義務教育を半年残し、兄姉を頼って上京することに。廃線になる前の片上鉄道に乗り、和気を経由し東京へ向かった。新幹線のない時代。夜行で10時間以上かかったそうだ。
出発前、ささやかな送別会を開いてくれた5人の同級生。「卒業式だけは出なさい」と勧めてくれた恩師。いまもあの日の感謝の気持ちは忘れてはいない。
「いまがあるのは夢を捨てなかったこともありますが、一番は多くの人との出会い。僕はいろんな人に助けてもらって、ここまで来ました」
下山さんのいいところは不運を不運と思わない心の持ちようだろう。上京後は婦人服店に住み込みで働き、社長の励ましもあって明大中野の定時制へ。やがてアイビールックのVANに強い影響を受け、それが東京デザイナー学院へとつながる。さらに、このとき、人生の伴侶とも出会い、22歳のときに本所吾妻橋でジョイマーク・デザインを立ち上げた。
「いつかは加山雄三さんに着てもらえる服をつくろう」
エプロンづくりから始まった会社は順調に業績を伸ばしていく。運命が一変したのは10年目。新ブランド「ボートハウス」を青山の7坪の店で売り出すと、これが爆発的にヒットし、社会現象に。憧れの人だった加山雄三さんをはじめ、著名人もこぞって身につけるようになった。
やがてブームは落ち着くが、下山さんはここからさらに数々のブランドを立ち上げていく。その中には自身をキャラクターに投影した「キャプテンサンタ」もある。
「ブームはこちらから仕掛けたわけでもないので残念がることはありませんでした。みんなが楽しんでくれるものをつくることに変わりはありませんから」
そんなスピリッツとパッションは多くの仲間を呼び込み、あの栗山英樹さんやテリー伊藤さんら各界の著名人とも幅広く交流。プロ野球、Jリーグとのコラボ商品も実現した。もちろん、思いやりの気持ちは両親から受け継いだもの。恩返しの思いから始まった主催のゴルフコンペは実に34年も続いている。
その一方で、ハワイのオアフ島には歴史的価値のある別荘を所有。さらに、コカ・コーラとディズニーの世界有数のコレクターという顔を持ち、オークションであのマイケル・ジャクソンに競り勝ったこともある。
例えるなら荒波をこぎ続けてきたような下山さんの半生。しかし、時代を読み、確実に風をキャッチしてきたのは間違いない。夢は次なる夢を生み、台湾へも進出。この11月末にはオアフ島でビーチウェアブランド「プアラニ・ハワイ」とのコラボ商品をデビューさせている。
「諦めなければ夢はかなう。それを津山の若いみなさんにも伝えたい」
もうすぐクリスマス。キャプテンサンタのへこたれない生き方そのものが大きなプレゼントだ。(山本智行)
◇下山好誼(しもやま・よしみ)1947年8月28日生まれの76歳。15歳で上京し、明大中野定時制を経て東京デザイナー学院卒業。22歳で起業し、32歳のとき「BOAT HOUSE」を発表する。その後も「CAPTAIN SANTA」など19のブランドをリリースし、第一線で幅広く活躍している。2017年には半生を描いた「ボートハウスの奇跡」を出版。