岡山県津山市の津山土岐家財団記念館でこのほど、同財団主催の第22回講演会が開かれ、市内や近隣に住む35人がかつて久米地域に存在した「鶴田(たづた)藩」の歴史について学んだ。
講演会は施設を活用した文化振興を目的に毎年開催。今回は元津山郷土博物館長で美作浜田会の佐野綱由事務局長が「鶴田藩の成立と消滅」と題して話した。
鶴田藩は、1866(慶応2)年の第2次長州征伐で、幕府と対立する長州軍の侵攻を受けた浜田藩(現・島根県浜田市)の藩士の家族たちが飛地の美作国に避難したのが始まり。戦いの終結後、浜田藩は長州藩に占領されて廃藩。浜田藩主4代目・松平武聰が里公文村の大庄屋・福山元太郎の元に身を寄せ、67年(同3)年に立藩した。現在、津山市桑下に鶴田陣屋西御殿跡、戊辰戦争の戦死者を弔う「殉難碑」といった関連する史跡がある。
佐野事務局長は鶴田藩を中心に、発端となった長州征伐にまつわる出来事をはじめ、吉田松陰ら長州藩士について解説。このほか、68(同4)年の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍に属したことや、最終的に廃藩置県により、71(明治4)年に県東北部の北条県に再編されたことなども語った。
下横野の友末誠夫さん(80)は「おもしろかった。津山で生活するには歴史を学ぶのは大切だと思う。鉄砲町といった城下町の名前の由来に興味があるので講演を開いてもらいたい」と話していた。