岡山県真庭市鹿田の太平寺に、かつて同県美作地域の大半を領国とした「津山藩」の2代藩主・森長継の生母・於郷(渓花院)とみられる法名が記された古い位牌があることが分かった。住職が高齢で今後、廃寺になる見込みであることから、檀家や住民が歴史的な遺物をどう保存するか検討している。
「渓花院殿春岳宗永大禅定尼」と記された位牌は本堂に安置。高さは約160センチあり、金箔が施されている。同寺は黄檗宗で、森家は一時期、同宗派に帰依していたことがある。しかし、位牌が祭られた経緯や森家との関わり、位牌が作られた時期などは分かっていない。
鹿田出身で、実家が寺の檀家の郷土史家・橋本惣司さん(81)=同県津山市=らが「歴史的にも貴重で興味深い」として調べるとともに、兄の橋本喬至さん(84)さんら檀家や住民が寺じまい後にどのように保存するか検討を進めている。
於郷(1595〜1615年)は、初代津山藩主・森忠政の娘で、美濃金山の生まれ。森家の一族にあたる関成次に嫁ぎ、長継、長政、衆之の3人の男子を出産するが、21歳の若さで津山で死去した。
津山市内には、関成次が亡妻の菩提を弔うため西寺町に建立した寺院・渓花院の跡地(現在は新高倉稲荷神社)、森長継が母の菩提寺として建てた宗永寺に供養墓と太平寺と同じ形状の位牌、森家ゆかりの妙願寺に供養墓、森家菩提寺の本源寺にも別の位牌がある。法名は「渓花院春嶽宗永大姉」となっている。
橋本さんは「森家の関係の於郷の位牌が鹿田の地にあることにまず驚いた。位牌が祭られている経緯などは今のところ分からず、手がかりとなる史料や聞き取りなど、さらに調査していきたい」と話している。