ザ・作州人 ユーキャン株式会社代表取締役会長 安藤磐さん

ザ・作州人
         

 今年最後の「ザ・作州人」は気骨溢れる経営者にご登場願った。業務用加湿器や空調周辺機器の総合メーカー「ユーキャン株式会社」(東京・八王子)の創業者で会長の安藤磐さん(80)がその人。数々の苦難や理不尽な訴訟を乗り越え、傘寿を迎えたいまもなおチャレンジ精神を失っていない。その土台になったものは何だったのか。

 ちょうど、この新聞が出るころに安藤さんは津山にいる。
 「ぜひ、地元から採用したいと思っていて、打ち合わせを兼ねて津山高専を訪問する予定です」

 今年80歳。37歳で創業した会社は43年間一度も赤字を出していない。50個以上の特許などの知的所有権を持ち、約30カ国と取引。しかし、思えば、道のりは長く、起伏に富んでいた。

 「苦あれば、楽あり。いまは安定し、業務用加湿器メーカーの大手の一角を担っていますが、いろんなことがありました」

 1歳で終戦。裕福だった生家は敗戦の影響をもろに受けた。中学に上がると小遣い稼ぎのために早朝、近所の豆腐店で働かせてもらった。

 「卒業まで休みなし。私はここで仕事の厳しさを体験し、根性を培うことができました」

 津山高に入学後も勉学よりアルバイトが中心。線路の補修、保全工事を手伝い、塗装工の仕事もこなした。一時は中退し、大阪に出て働こうと寿司店や菓子店などに履歴書を送付したこともある。

 「早く働きたい一心でしたが、父から高校くらいは出ておけ、と諭されて。不採用となったのも父が手を回したのかもしれません」

 中央大の夜間部に受かり、1964年上京。オリンピック景気で沸く中、知人からの紹介でたまたま空調機用熱交換器の製造メーカーで働くことになった。

 しかし、これが運命だったのだろう。68年に卒業後はそのまま就職。営業マンとして頭角を表す。70年には万博景気で活気づく大阪へ転勤し、ここでも才能を遺憾なく発揮。特に繊維メーカーからの加湿器の受注でトップの成績を上げた。

 「あのころはクーラーや加湿器といった空調機器が猛烈に普及した時代。飛ぶように売れました」

 73年のオイルショックを機に時代はやがて繊維からスーパーマーケット業界へ。出店競争が起こる中、安藤さんにとって大きな転機が訪れた。

 当時、スーパー側が求めていたのは冷蔵庫やショーケースに収まる小型加湿器。しかし、会社にはそれができる技術者もいなければ、自社で制作する考えもない。

 そこで安藤さんは通常の業務をこなしてからなんと試作品づくりに取り組み、やっとの思いで完成。披露したところ、返ってきたのは…。

 「当社はこんなものをつくるつもりはない」「いまある商品を売ればいい」「営業がでしゃばるな」

 そうか。それならと、17年間お世話になった会社を離れ、81年に独立。会社名はふと目にした読売新聞のコラムの一節〈ジェームス・ディーンが「エデンの東」で語った最後の言葉はユーキャン(君にはできる)だ。これは世界で最も強い言葉だ〉から取った。

 「どんなときでも〝ユーキャン〟と自分に言い聞かせよう」

 主力商品として決めたのは野菜や果物をみずみずしく保ち、見栄えも良くするスーパーマーケット用超音波加湿器と冷蔵庫用超音波加湿器。会社の作り方、設計図の書き方などの書籍を買い、実践する一方で部品の買い付けや組み立て、カタログ作製など何から何まで1人で何役もこなした。

 幸い、会社は軌道に乗り、生家の借金も完済。87年にアメリカへの輸出を開始したが、90年1月にルイジアナ州のあるスーパーに設置していた噴霧器が感染源と疑われる在郷軍人病により、2人が死亡したと報道された。

 ここから米国への出頭命令が届くなど、PL訴訟の対応に明け暮れる日々。国内では92年末に日本で起こした裁判で何とか勝訴したが、2000年に再びピンチに見舞われた。

 今度はイギリスのあるホテルに設置していたサラダバーの加湿器にレジオネラ菌が混入し、2人が死亡。加湿器が発生源とのことで現地の代理店が訴えられたのだ。最終的には反訴して勝利を得たが、現地での裁判は09年まで続いた。

 しかし、裁判中も研究開発を進め、技術で対抗。国立公衆衛生院との共同研究で殺菌効果を高めた新商品を送り出した。

 「災い転じて福となす。2度と訴えられないようにと開発した商品がその後の会社発展の礎になりました」

 専門家の大方の意見では、2つの訴訟は米国のライバルが企図した市場参入阻止と賠償金を得るため、米英の弁護士が結託した可能性がある。しかも、ルイジアナの裁判は製品に組み込まれた部品メーカーとの間で05年まで続き、最終的に巨大ハリケーン「カトリーナ」の襲来で裁判所が水浸しになり、資料が紛失したため、終決したというオチがある。

 今後については「これからも社会の役に立つ商品を開発していきたい。いま、ある商品をつくっています。何かは言えませんが、省エネにつながるものです」とニヤリ。苦労が大きいほど逆境に耐える力がつく。自分ならできる。安藤さんはそう信じている。

 ◇安藤磐(あんどう・いわお)1944年5月11日生まれ。津山高から苦学して中央大経済学部を卒業し、そのまま勤務先の空調機メーカーに就職。営業マンとして活躍後、1981年に独立し、ユーキャン株式会社を創業。43年間黒字経営を続け、現在は代表取締役会長。最近までマラソンを趣味にしていた。東京都八王子市在住。


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