郷土史を研究する赤坂健太郎さん(45)=瓜生原出身、岡山市=は、忘れ去られようとしている戦前・戦後の映画館や演芸場を調査している。今回、戦後間もないころまで二宮にあったとされる「二宮キネマ」の存在を地元住民への聴き取りで掘り起こし、地域の歴史や大らかな時代の一端を浮かび上がらせた。
かつて映画館などは人々の娯楽の中心だった。津山おくにじまん研究会員でもある赤坂さんは、記録に残っていなかったり、情報が極めて少なかったりする〝幻〟の施設が市内にあることを知り、調べることにした。
二宮キネマは1985(昭和60)年発行の『津山市史第7巻 大正・昭和時代』に、映画館として「昭和8年に開館した」との記述があるだけで、詳細は不明だった。36(同11)年発行の史料「津山市街全図」に、二宮キネマの位置が表記されているのを確認。二宮の旧出雲街道沿い、JR姫新線の第一出雲踏切の西側に立地していたことが分かった。
先月、近くのお年寄りへの聴き取り調査を実施。それぞれ、子どもだった終戦間もない時期、親に連れられて芝居などを見に行ったという。
84歳の男性は「出雲街道に面して南側が正面、1階平屋で、中は座敷だった。旅役者による芝居が行われ、赤城山の話などが上演されたのを覚えている。映画の上映もあったが、見たかどうかは記憶にない」と述懐。
75歳の女性も「母に連れて行ってもらい、ござを敷いてみんなで見た。当時は一番の楽しみで、子役が出る時におひねりを投げたりもした。舞台を終えた役者たちが化粧をしたまま、近くの食堂に来たのが子どもながらに怖かった」。建物は簡素な小屋で、左側には舞台袖があったという。
理容店を営む原田臣之さん(77)は「キネマの所に大きな松があったのを覚えている。うちの前(出雲街道)を役者らが歩いていた。ゆったりとした時代だったが、道筋にあった昔ながらの店も時代とともになくなり、今はさびしい限り」と語る。
多くの人の記憶に鮮やかに刻まれる二宮キネマ。戦後を生き抜く人々を元気づけ、笑顔にし、夢や希望を与えたことだろう。赤坂さんは「建物の写真などは見つかっていないが、地元の人の証言からその全体像が見えた。地域の歴史を知る上での資料がまた一つ蓄積でき、今後も調査を続けたい」と話している。
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1戦後間もないころまで存在した「二宮キネマ」付近の今の様子