人形峠④

歴史・文化 人形峠④
         

 上空から見ると、森林に囲まれた広大な敷地の中に、工場などの建物が点在しているのが分かる。
 鏡野町上斎原の標高約740㍍に位置する「人形峠環境技術センター」。約120㌶の面積は日本原子力研究開発機構では2番目の規模を誇る。核燃料開発分野での役割を終えている現在、課せられた使命はただ一つとなった。この研究拠点そのものの廃止だ。
 「約40年かけて進めることになる」。同センター計画管理室長を務める小原義之技術主席が、事業計画「ウランと環境研究プラットフォーム構想」に示した目標を説明する。
 計画の柱の一つはウランを取り扱った施設の解体撤去と処理技術の開発。鉱石の加工などを担った「製錬転換施設」は2008年度に、ウラン濃縮の基礎を研究した「濃縮工学施設」は14年度に着手した。残るは濃縮技術を開発した「原型プラント」。約55億円の費用をかけて20年度からの20カ年で解体する計画を原子力規制委員会に約2年前に申請したが、内容補正を繰り返し、認可に至っていない。
 全施設の解体によって、ウランが付着した金属部品や廃液などの「低レベル放射性廃棄物」は約2万4000㌧出るとされる。このうち約1万1000㌧は再利用できずに残るが、問題は処分に関わる法律が整備されていないことだ。規制委が今年7月に検討を始めたものの、「あくまで委員会の話。国レベルの協議にならなければ」と話す。これまでの分はドラム缶に詰めており、その数1万7000本を超える。
 地下約70㍍に埋設する「トレンチ処分」を見据え、19年度からボーリング調査も行っている。「どういう地質が適すのかを知るため数十年単位のモニタリングになる」。法整備に先駆けて廃棄方法を研究する状況だ。
 濃縮過程で生まれた化合物の「六フッ化ウラン」も約2700㌧残っており、福井県の「高速増殖原型炉もんじゅ」で活用される予定だったが16年度に廃炉が決定。ウラン廃棄物の金属を建築材などとして使えるよう除染した製品は600㌧を見込むが50㌧余の在庫もそのまま。これらの使い道や受け皿も課題となる。
 「新たな活路を模索したい。これまでの歩みをみれば産業遺産の価値もある」。05年の町村合併で立地自治体となった鏡野町は、日本唯一のウラン鉱山で、研究の先頭を走ってきた「人形峠」を将来も地域振興の柱にしたい考えだ。
 旧上斎原村が合併後も「財産区」として毎年もらっている土地貸借費用の約3000万円はしばらく安定財源だが、町に入る年間7億円以上の「電源交付金」は、工場の運転が終了した中であり方を問う声が以前からある。恩恵を期待し続けることはできず、代替策に迫られる。
 町は、17年度に打ち出した「『ウランのふる里研究エリア』を中心としたまちづくり構想」に望みをかけている。日本原子力研究開発機構と、中性子医療センターを持つ岡山大学との協定に基づき、ウランや放射線医療の研究交流拠点を町役場の近くに建設する計画。人形峠がさら地になった後、文化施設や公園などとして再整備する方針も盛り込む。
 「ただ現実は、町民が受け入れるのに難しい段階にある」と町まちづくり課。ウラン廃棄物処理などの諸課題にかたが付かない限り、具体的なビジョンを描きにくい。
 現在の町の人口は約1万2700人。人形峠がある上斎原地域は約540人で、戦後のピーク時と比べて1000人以上も減ってしまった。壮大なプランが理想論の域を超えない中、地域の産業振興や過疎対策は待ったなしの状態だ。
P①
上空から見た人形峠環境技術センター。廃止措置にかじを切ったが、放射性物質を取り扱ったために長い期間を要する見込み

P②
放射性廃棄物の保管状況を確認する原子力規制委員会の委員。処分に関わる法律は整備されていない(2017年8月24日撮影)


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