作州人三七
◎自分の感性が動く限り
画家(水彩連盟会員・日本美術家連盟会員・ANN会員=ポルトガル)
にたはら孝江さん
▽前文
今回の「ザ作州人」には自由な心と瑞々しさに満ちた津山市出身の水彩画家、にたはら孝江さん(77)に登場していただいた。結婚・出産後に美術を学び直し、公募展に出品しようと思い立ったのが37歳のとき。以来、銀座や日本橋をはじめマカオ、ドイツ、ポルトガルなど国内外で20回以上の個展を開いている。
▽本文
日本の裏側からイベリア半島の先端まで。これほど劇的な人生もそうそうないのではないか。夫の転勤で兵庫から東京、ブラジルのリオデジャネイロへ。その間に出産、子育てをしながら高校卒業時に断念した美術学校にも通った。
帰国後、絵画教室を主宰していたが「感性が動いていない」と一念発起し、38歳だった1982年に公募展に初出品。さらに2002年から足掛け12年間のポルトガル生活を経て帰国してからも活動を続け、2019年に「永井保賞」を受賞するなど、40年以上に渡って第一線で活躍してきた。
創作活動に入ったころ、ある画家から聞いた言葉も忘れられない。
「絵を描くと言うことは障害の有無、男女、年齢、学歴すべて関係なく、作品の良し悪しだけ。どのように描こうと自由だし、何にも束縛されることはない」
その生き方も多くの示唆に富んでいる。おそらく、この人の持つ心の柔軟性や開放性からくるのだろう。聞けば聞くほどコミュニティーづくりの達人でもあった。
例えば、第1子誕生後の1968年には兵庫県サリドマイド被害児を守る会を発足。ブラジルの移民の村ではアートフラワーを指導し、ポルトガルでは様々な国籍を持つ24人の仲間とアルガルベ芸術家集団をつくり、活動した。
「激しく議論を交わし、終わればハグし合うような関係でした。ポルトガルでは市場のおばさん、カフェのお姉さん、多くの楽しい出会いもありました」
高校まではどちらかといえば控えめなタイプ。「思春期の私は大人にとって都合のいい素直な子だった」という。そこで、津山にいる若者へのメッセージを求めると「人の意見は素直に聞いて、その意見を自分の心のフィルターにかけて、その判断に素直に従って生きていただきたい」と丁寧に答えてくれた。
もちろん、創作意欲はいまなお旺盛だ。2017年に東京・日本橋の〝ひまわりギャラリー〟で開いた個展が大好評。これが縁でリゾートホテルの東急ハーヴェスト軽井沢に絵画20点を納入した。現在はアトリエにこもり、鬼怒川にある同系のホテルに飾る絵を描いている。
「白いキャンバスに向かうワクワク感は何物にも代えがたいものがあります。自分の感性が動いていると感じられるので、まだまだ描けそうです」
あぁ、何という素晴らしい人生。いい言葉を聞け、勇気をもらった。
(山本 智行)
◇にたはら孝江(たかえ)1943年10月17日生まれの77歳。北中卒、美作高時代にデッサンを学ぶ。川崎製鉄神戸に入社し、21歳で結婚。夫の転勤で東京、ブラジル。さらに退職後にロングステイでポルトガルへ。武蔵野美術短期大学卒、リオデジャネイロ州立美術学校修了。国内外で20回以上の個展を開いている。千葉市在住。