作州人27
◎波瀾万丈の熱血漢
大阪偕星学園 硬式野球部監督 山本晳さん
▽前文
今回の「ザ作州人」は激動の野球人生を歩んできた山本晳さん(52)に登場してもらった。日米韓を渡り歩いた異色のキャリア。2015年には大阪偕星学園を夏の甲子園初出場に導いた熱血漢だ。様々な理不尽さや障害を乗り越えられたのは負けじ魂とチャレンジ精神だったか。
▽本文
見た目も、やることもスケールがデカい。津山を離れて34年。その間、山本さんは大阪、香川、米国、韓国、東京、岡山などで過ごし、多くの出会いと別れを経験してきた。
「大阪偕星に呼ばれたのが43歳のとき。その前にいろいろあったので理事長と学校には感謝しかありません」
就任4年目の2015年、大阪桐蔭や大体大浪商などを破り、甲子園初出場。初戦の比叡山(滋賀)から挙げた記念すべき1勝は、ある意味で自身の汚名を晴らす勝利にもなった。というのも、10年にいわれのない保険金詐欺騒動に巻き込まれ、9年間在籍した倉敷高校を追われていたからだ。当然、男の意地もあっただろう。
〝本気〟の指導は高校野球関係者の間では広く知られている。現在は家族を岡山に残し「やんちゃで野球がそこそこできる」部員とともに寮で単身生活。朝4時に起き、唐揚げ10キロを揚げるなど22人分の弁当を用意する。英語も教えながらの熱血指導。部員に対する並々ならぬ愛情があるからこそだろう。
「規則を破ったら4畳半の僕の部屋で説教し、そのまま一緒に寝ます。ときには7人。生徒には〝お前らも嫌やろうけど、オレも嫌やで〟と言います。だからルールを守れよって。教えようと思ったら楽したらダメです」
津山商では3年夏ベスト8。大院大では大学野球選手権にも出場した。その後は香川の尽誠学園コーチとして谷佳知(元巨人など)らを指導。そこからミネソタ州に留学するが、直前にはプロ野球のテストも受け、5スイングでサク越え4発という武勇伝もある。
さらに27歳の時には韓国プロ野球のトライアウトを受け、太平洋ドルフィンズでオープン戦に出場。帰国後は大院大大学院で英語を学び直し、東京の多摩大聖ケ丘でも教壇に立った。
だからプロ・アマ問わず幅広い人脈を誇り、視野も広い。そんな山本さんが気になるのは人口減少が続く津山のこと。そこで、介護福祉士の学校設立を提案した。
「これから超高齢化を迎えるわけで、その前に学校を建て、ベトナムなど海外から若い人を毎年100人ぐらい呼べば、人口減に歯止めをかけられる。福祉の町として津山がモデルケースになるというのはどうでしょうか」
大阪偕星は甲子園効果で女子生徒が増加。新校舎もできた。また、日本の高校として初めてドミニカ共和国からの野球留学生を受け入れており、現在2人が所属している。
「ここ2、3年のうちにもう一度甲子園へ」
そう言って、分厚い胸板を張った。 (山本智行)
◇山本晳(やまもと・せき)1968年2月7日生まれ。津山商から大阪学院大を経て、尽誠学園コーチ。その後、米国留学。韓国プロ野球でプレー後、02年から倉敷高の監督。11年から現職に。15年夏の甲子園出場。英語科教諭でもある。