作州人二十五
◎良きライバルに恵まれて
居酒屋「お銚子もん」古林正オーナー
▽前文
新型コロナウイルスの感染が広がる中、横浜で奮闘している「作州人」がいる。東急東横線「大倉山駅」近くで居酒屋「お銚子もん」を営む古林正さん(47)がその人。後先考えず、飲食の世界に飛び込んだと言うが、いまや地元の人気店だ。そうそう、同じ横浜で同業の同級生にも負けられない。
▽本文
無鉄砲と言ったら失礼だろうか。古林さんは名門横浜国大の工学部を卒業後、都内の企業に就職。「設計っぽい仕事をしていた」と言う。それなのに、急きょ方向転換。30歳で退社し、飲食の世界に飛び込んだ。
「知り合いの焼き鳥店の店長を見て、好きなことやってていいな、と思ってました。お酒も好きだったので、将来は自分の店が持てたらいいな、と思って。後先考えていなかったですね」
実際にカウンターの中に入ると大きなギャップを感じた。思えば、包丁も持ったことがなく、千切りもできなかった。
「最初の1年はとにかく、しんどかったです。えらい道を選んだな、と。でも、もうサラリーマンには戻れない。独立するために必死。系列店の渋谷、表参道、阿佐谷で経験を積みました」
12年の修業を経て2015年8月、42歳のときに大倉山駅から徒歩2分という好立地に居酒屋「お銚子もん」を出した。店内はオープンキッチンになっており、計46席。種類豊富な日本酒とおでん、煮込み料理が人気だ。
津山高ではサッカー部に所属。チームメートにはなんと現在、同じ横浜で有名フランス料理店「ペタル・ドゥ・サクラ」を経営するあの難波秀行シェフがいた。
「不思議ですよね。高校を卒業してから会っていなかったんですが、フェイスブックでつながったんですよ。高校時代は家に遊びに行ったりしてました。料理のジャンルは違うけれど、同じ料理人として横浜を盛り上げよう、と話しています」
そんな矢先に見舞われたコロナ禍。「お銚子もん」も例外ではなく、首都圏に外出禁止令が出されて以降は客足が極端に減った。当初は2号店を出す計画もあったが、急転白紙を余儀なくされた。
「いまは何とか大丈夫ですが、このままだと、金融公庫の融資を受けないといけなくなるかも。こうなったら体力勝負。コロナに負けないようにがんばります」
先は見通せないが、希望は失っていない。人生、少しお調子者ぐらいがいい。(山本 智行)
◇古林正(こばやし・ただし)1973年4月7日生まれの47歳。津山高ではサッカー部。横浜国立大に進み、卒業後は設計関係の仕事に。30歳で飲食の世界に飛び込み、42歳で独立。「お銚子もん」をオープンした。妻と子ども2人の4人家族。
◇居酒屋「お銚子もん」神奈川県横浜市港北区大倉山2‐2‐10 好善ビル2F 予約・問い合わせ電話045-947-3990