元作楽神社宮司の福田景門さんをしのぶ会が5日、津山市内のホテルで開かれた。
福田さんは1927(昭和2)年4月26日、伏見町で生まれた。44(同19)年、神宮皇學館大予科に入学。47(同22)年、高野山大予科を修了し、中学校教諭として西中、南中、東中などで勤務。こののち津山商業高校、津山高校で教壇に立った。
1980(昭和55)年に作楽神社宮司に就任し、生涯にわたり奉仕。徳守神社の宮司も務めた。不二歌道会県支部長、芦田林弘烈士顕彰会長として剣魂歌心を実践した。私淑していた津山藩士道家大門の評伝をはじめ、作州の石碑の調査をまとめた『石の声』、随筆集・歌集など多数の著作がある。
一年祭を期に開催し、16人が出席。発起人代表の竹内佑宜さん(75)=山下=が「福田先生は、幕末の津山藩のサムライで、作楽神社創建のために尽力した道家大門を崇拝していた。そして道家大門と同じように生涯を神明に奉仕した。残された者が、先生が守られてきたものを大切にしたい」とあいさつ。
小坂博通作楽神社宮司(69)=久米南町松=が「福田先生と最初に出会ったのは、東京の大東塾の学生寮。先生が作楽神社の宮司になられたとき、社務所に住むよう頼まれ、数年間住んだ。そして、作楽神社を頼むと言われた。何としても、お宮を護持していく所存」と述べた。遺族を代表して長男の島根大名誉教授・福田景道さん(68)=山北=が「父は本当に人を楽しませたいという気持ちに満ちあふれた人だった。本日は私の知らない父の楽しい話を聞かせていただけたら」と語った。
直会(なおらい)に移り、会社役員・全本和由さん(75)=沼=が「私も景門門下生の一員であることを自負している。皆さんと共に先生のことを思い起こしたい」と述べ、乾杯の音頭をとり、それぞれが思い出話に花を咲かせた。
元作楽神社宮司の福田景門さんをしのぶ会”思い出話に花を咲かせる”