北海道文化放送アナウンサー 廣岡俊光さん

ひと
         

作州人四二

◎思いを伝え、人と人とをつなぐ

北海道文化放送アナウンサー 廣岡俊光さん

▽前文
 今回の「ザ作州人」にはアナウンサーとして脂の乗った廣岡俊光さん(40)に登板してもらった。充実したスポーツアナ時代を過ごし、現在は北海道のいまを伝えるUHBの看板番組「みんテレ」の顔。道民と道内の魅力を硬軟織り交ぜて届ける一方、テレビ局の可能性を問い直し、SNSでの発信にも力を入れている。

▽本文
 UHBを訪ねると廣岡さんが柔和な笑顔で迎えてくれた。話し出せば、そこはアナウンサー。うまいのは当然だが、巧言令色ではなく、誠実さと親しみやすさまで伝わってくる。
 聞けば、現在は月曜日から金曜日まで夕方の報道情報番組「みんテレ」の司会を任されているとのこと。言わば、局の顔だけにプレッシャーも相当だろうが、持ち前の明るさと謙虚さで乗り切っているようだ。
 「今年で3年目です。コロナ禍で難しい面もありますが、視聴者のみなさんと一緒に驚き、考え、教えてもらってます。主に女性がターゲットなのでスポーツでの質問でも違った視点になり、視野が広がったと思います」
 肩肘を張らないところが運を呼んでいるのかもしれない。2005年に入社後はすんなりと希望するスポーツ実況アナへ。充実した時間を過ごした。
 「幸いなことにファイターズが北海道に移転し、新庄によってファイターズ人気が根づいていく過程に関われた。その後もダルビッシュ、大谷選手。コンサドーレも強くなり、ゴルフやマラソン、スキーのジャンプも担当させてもらった。一番うまい実況アナになるという思いは、いまも変わっていないんですが、若手に譲ることも必要」
 生まれは広島・府中町。父が天満屋に勤務していたことで、その後は津山や山陽町、勝山など岡山県内で育った。熱心な広島カープのファン。高校時代は岡山高で寮生活、そこから立教大へ進んだ。
 スポーツに携わる仕事をしたくてアナウンサーを志望。実は就活1年目は福岡のテレビ西日本から内定をもらいながら留年することになり、さすがの楽天家もこのときは落ち込んだようだ。
 「住むところも決まっており、研修にも参加してたのに…」
 それでも就活で知り合った魅力的な仲間に刺激を受け、一念発起し再チャレンジ。難関を突破し、同じフジテレビ系列のUHBにお世話になることが決まった。
 「中洲からススキノに来ることになろうとは」
 いまでは笑い話になるが、これも人として魅力があるからこそだろう。好きな言葉を聞くと、炎のストッパーと呼ばれ、夭逝した広島の津田恒実さんの信条「弱気は最大の敵」を挙げた。
 現在、力を入れているのは変わりゆく世の中の中でテレビに何ができるかを自身に問い、まずはいかに北海道を盛り上げていけるか。栄える札幌と過疎の関係はまさに目の前の日本の問題でもある。実際に生まれ育った故郷を思い「みんなでつくる中国山地」プロジェクトにも共感し、ツイッターなどに思いを載せている。
 「食リポ、スポーツ観戦へのコメント。やり過ぎだと言われてますが、これからもどんどん発信していきます」
 頼もしい作州人がそこにいた。(山本智行)
 ◇廣岡俊光(ひろおか・としみつ)1981年5月26日生まれの40歳。広島・府中町出身。岡山県津山市、旧勝山町などで育ち、岡山高から立教大へ。2005年に北海道文化放送(UHB)に入社。日本ハム、コンサドーレ札幌などスポーツ実況アナを経て、2019年に夕方の帯番組「みんテレ」のMC。SNSでも幅広く発信している。


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