「珈琲」の当て字を考案した津山藩医・宇田川榕菴(ようあん、1798〜1846)の命日の22日、宇田川家3代の墓所がある岡山県津山市西寺町の泰安寺で法要が営まれた。墓前にコーヒーを供え、市民ら10人が遺徳をしのんだ。
榕菴は幕府の仕事でフランス人のショメールが記した「家庭百科事典」の翻訳に携わり、コーヒーの項目を担当。また、昭和初期に研究家がまとめたコーヒーの異名・熟字の一覧には「珈琲」について「宇田川榕菴自筆蘭和対訳辞書ヨリ」とある。
法要は「津山榕菴珈琲研究会」(金田稔久会長)が開いて3回目。本堂で安田大智住職が、榕菴が西洋の植物学を紹介するために作った「菩多尼訶経(ぼたにかきょう)」を唱え、参加者が一人ずつ焼香した。小雨の中、墓所ではコーヒーを供えて静かに手を合わせ、宇田川家の功績に思いをはせた。
この後、参加者は当時の味を再現した「榕菴珈琲」の試飲を楽しんだ。三谷元さん(79)は「榕菴先生の遺志や、研究会による法要が今後も守られてほしい」と話した。