夢はパリから世界へ
フレンチ「オルテンシア」オーナーシェフ 齋藤照允(さいとう てるみつ)さん
今回の「ザ・作州人」は日本を飛び出し花の都パリを舞台に大活躍している料理人を紹介させていただく。エッフェル塔近くにある高級フレンチ「オルテンシア」のオーナーシェフ、齋藤照允さん(46)がその人。渡仏直後の苦労を乗り越え、いまや本場でも知られた存在に。「夢は夢にあらず」をモットーにさらなる世界進出を思い描く。
まさか、こんな日が来るとは思いも寄らなかった。10月初旬に訪れたフランスの首都パリ。競馬の凱旋門賞の取材に加えて、もうひとつの目的が同郷で、腕利き料理人の齋藤さんに会うことだった。
情報を提供してくれたのは前回のこのコーナーに登場していただいた東京に住むパティシエの牛島源希さん。「高校の先輩で凄い方がいます。アストランスというミシュランガイド3つ星のレストランがあった場所にお店を出してます。いまパリで注目の日本人シェフです」
今年1月にオープンしたレストランはエッフェル塔からすぐ。セーヌ川にほど近いベートーベン通りにあった。店内は20席ほどながら落ち着いた空間が広がり、らせん階段を上った2階にも小粋な1テーブルを用意。見た目も味も繊細なコース料理と良質なワインを提供し、舌の肥えたパリジャンをうならせている。
店名の「オルテンシア」は、あじさいのこと。齋藤さんのポリシーや料理に対する思いが込められている。「あじさいは日本が原産。花びらが多彩で、集合体として美しくまとまっているところが気に入っています」
津山東高出身。大人しい少年だったそうだが、小学生のころから料理が大好きだった。「家が自営業で両親は仕事に忙しく、家に帰ったときにお腹が空いていて、料理をつくるようになりました」と話し「兄や妹たちにもつくってあげ、そのとき、人につくって喜んでもらえることを知った気がします」と続けた。
卒業後は調理以外のことを経験したいと思い、岡山で4年間、インテリア関係の仕事についた。しかし、離れたことで料理人への思いは募り、広島や東京の有名レストランで働くうちに天職と思えるように。それと同時に本場フランスへの思いを強くした。
しかし、当時はいまほどインターネットも普及しておらず、どうしていいか分からない。時間だけが過ぎていったが、やがて人脈ができ、勇気を出して決断した。
「最初は夢物語でした。しかし、料理人としてだけではく、人生を変えるきっかけになったのは離婚です。良くも悪くも離婚していなければフランスにも来ていないと思います」
31歳での渡仏は人生の再出発。しかし、しばらくは言葉の壁をはじめ住居やビザなど問題が山積みで途方に暮れる日々が続いた。
「やはりフランス語を覚えるまでは大変でした。いくらいい仕事をしてもコミュニケーションを取れなければ話にならない。最初の5年ぐらいは問題がありすぎて、逆に記憶にないぐらいです」
さらに、2015年11月13日にパリで起きた痛ましい同時多発テロ事件も目の当たりにした。
「ちょうどパリ11区で働いていたとき、営業中にすぐ近くで発生しました。日本では考えられないような出来事。同じ系列のレストランの従業員が撃たれました」
そんな荒波の中、世界一の激戦区、パリの一流店で実績を積み重ね、ついにオーナーシェフとして一等地に待望の店を構えた齋藤さん。好きな言葉は
「夢は夢にあらず」だ。ときに回り道し、挫折しながらも、それらを肥やしに忍耐力とガッツで乗り越えてきた。
「今後の夢はまず、このレストランを安定させ、いろいろな国に出店することでしょうか。上海への出店はその足がかりだと思っています。津山にいる若い人にはぜひ、広い世界を見て、いろいろな経験をしていただきたいですね」
夢はどんどん広がっていく。こんなスケールの大きな作州人はそうそういない。(山本智行)
ŌRTENSIA (オルテンシア) https://ja.restaurantortensia.com/
◇齊藤照允(さいとう・てるみつ)1976年8月25日生まれの46歳。勝北中から津山東高。卒業後、インテリア関係の仕事に4年間就いた後に広島、東京のレストランで修業。2007年に渡仏。一流店で実績を重ね、今年1月に高級フレンチ店「オルテンシア」をオープンする。愛猫家。