平沼騏一郎円卓/岡山・津山市

歴史・文化
p 円卓が戻される旧別邸の知新館
         

 岡山県津山市出身の第35代内閣総理大臣・平沼騏一郎(1867-1952)の古希祝いに建てられ、帰郷時に滞在した津山市南新座の旧平沼家別邸(現知新館、国登録有形文化財)で使われた円卓が、市内の民家で保管されていた。M&Y記念館代表で歯科医院長の豊福恒弘さん(69)が市に知らせ、約70年ぶりに元の屋敷に戻されることになった。
 円卓は2つあり、大きい方は直径80センチ、高さ68センチ、もう片方は直径60センチ、高さ55センチ。いずれも洋テーブルで材質や製作年代は不明。豊福さんの知人の箕浦淳一さん(67)宅にあったが、処分される寸前の状態になっていたという。
 別邸は、明治初期に平沼家が東京へ転居し、老朽化していた武家屋敷を法曹界と地元有志が取得して1938年に再現。贈られた騏一郎は生家の面影を残す邸宅をこよなく愛したとされ、滞在時に玄関などで撮影された写真も残されている。その後、50年に平沼家から市に寄贈され、翌51年から87年まで「津山郷土館」として津山地域の歴史資料を展示。その初代館長を務めた箕浦さんの祖父の故國政輝郎さんが、展示物を並べるために別邸に残されていた円卓を搬出し、その旨を家族らに伝えていた。
 別邸は89年に知新館と改称されて以降、地域住民の交流の場として活用され98年、登録有形文化財となった。
 藤木靖史津山おくにじまん研究会代表(77)は「津山滞在時の生活をしのばせる貴重な品であり、よく残っていたと思う。これを機に、騏一郎の別邸だった知新館に再び市民が関心を持ってもらえたら」と話す。
 豊福さんは「郷土の輩出した偉人が来津時に飲食をした円卓として、屋敷とともに保存すべきと思った。もし生家から引き継がれた品ならば、早稲田大学学長を務めた淑郎と兄弟で幼少期に使ったかも知れない」と熱っぽく話す。

p 平沼騏一郎の別邸で使われていた2つの円卓と豊福さん
p 別邸の玄関に立つ騏一郎(江見写真館提供)


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