津山おくにじまん研究会の赤坂健太郎さん(49)が、出身地の岡山県津山市瓜生原の集落に残る小字「大正寺」について、かつてこの地に寺があった可能性を探るため現地を調査。集落に祭られるお堂で「大正寺」と記された遺物を複数発見し、幻の寺院が実在したことを裏付けた。
集落は吉井川と広戸川との合流点に近い丘陵上、和気山の山すそにある。大正寺の小字が残っており、昔この地に寺院があったと考えられるが、忘れ去られたのか地元に伝承はないという。
以前から謎に思っていた赤坂さんはヒントを求め、津山郷土博物館所蔵の明治13(1880)年の文献『勝南郡瓜生原村誌』の写しを確認。そこに大正寺の記述を見つけた。
それによると、建立時期は不明ながら、江戸時代中期の寛政年間(1789〜1801年)に修験道の寺院となり、「新熊野山大正寺」と改めた。明治7(1874)年には天台宗の寺院になった、と記されていた。
集落には、歴史を感じさせる不動明王像や観世音菩薩像などを祭るお堂があり、赤坂さんは許可を得て建物内を調査。その結果、「大正寺」と墨で書かれた掛け軸の木箱や、首に吊るす浄財箱のような木箱、多数の護摩札の版木が見つかった。掛け軸の箱には「明治三庚午年 新熊野山大正寺」と記されていたが、掛け軸は失われていた。
寺の跡地がどこなのかは分からないが、この地に存在したことを示す確かな証拠が得られた。赤坂さんは「版木は江戸時代のものである可能性も考えられる。いつしか寺が廃れた後に、このお堂に持ち込まれたのではないか」と推察する。
お堂は「勝南霊場」74番札所で、不動明王を安置する厨子は宮大工が作ったように立派で、先人たちの信仰心のあつさがうかがえる。近くの山口美恵子さん(88)によると、かつては地元の人による接待が行われていたが、昭和40年代に霊場巡りの参拝者は途絶えたという。
赤坂さんは「大正寺は、もとは山伏が修行する山岳信仰の寺院として構えられたのではないか。今も大切に守られるお堂を含め、この地域の信仰の状況、神仏にあやかろうとする人々の願いや祈りを行う一端が垣間見え、興味深い」と話している。
