国内にコレラなどの伝染病ががまん延した明治期、隔離が必要な感染者を掌握するために設置された投書箱「密告函」が、元津山郷土博物館長の尾島治さん(63)=川崎=宅から見つかった。津山で残っていた例は珍しく、当時の関連資料もないため、調査を依頼した同館(山下)で情報提供を求めている。
木製で二つあり、いずれも幅約20㌢、高さ約40㌢、奥行き12㌢。築100年以上になる家の屋根裏部屋で1月に探し物をした際、ほこりを被った状態で出てきた。正面の投函口の下に「密告函」と筆文字で書かれ、側面下側に鍵穴が付けられた取り出し口がある。鍵はなく開かないが、中には何も入っていない様子。
各地の記録などによると、当時はコレラにかかると「避病院」に隔離されたが効果的な処方薬がなく、亡くなる人も多かった。「村八分」にされる懸念や死への恐怖から患者を隠ぺいするケースも後を絶たず、この対策として役場などに密告函が設置され、地域住民で組織する衛生組合で管理していた事例も残る。
「コロナ禍に出てきたのは偶然だが、公衆衛生の施策の遺産であり、津山地域で当時どのように設置され、管理されていたかを知りたい」と尾島さん。
問い合わせは、津山郷土博物館(☎224567)。
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明治期に設置されたとみられる密告函を見つけた尾島さん
投書箱「密告函」見つかる
- 2021年3月18日
- 歴史・文化