フリーアナウンサーやリポーターのマネジメントを手がける「エス・オー・プロモーション」は8日、創業者で会長の押阪忍さんが6月29日に89歳で亡くなったと発表した。
公式サイトによると、告別式は7月4日に近親者のみで執り行い、後日、会葬の機会を設けると報告した。
押阪さんは岡山県津山市出身。テレビ朝日アナウンス部第1期生で、1964年東京オリンピックでは、女子バレーボール金メダル東洋の魔女を担当した。65年に民放テレビ「フリーアナ」第1号となり話題に。71年フリーアナウンサー事務所エス・オー・プロモーションを創業し、放送界に多くの人材を輩出した。
2003年より津山市観光大使。05年には津山市文化功労者として表彰され、11年からは津山市観光名誉大使に任命されていた。05年津山城築城400年を記念して制作された「よみがえる津山城」のナレーターを務めるなど地元への貢献も行っていた。
津山朝日新聞では、06年10月から08年3月末まで毎週金曜「アナウンサーのひとり言」の執筆を担当し、全65回の連載は書籍化された。
哀悼コメント
津山市長 谷口圭三
このたび、本市出身のフリーアナウンサー、押阪忍さんのご逝去の報に接し、心よりお悔やみを申し上げます。
押阪さんは、観光名誉大使としてさまざまな場面でご活躍いただきました。その功績に対し、深く感謝の意を表します。
また、フリーアナウンサーとしてのご活躍は、多くの津山の住民にとって誇りであり、押阪さんの存在が本市に与えた影響は計り知れません。
ここに、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様には謹んでお悔やみ申し上げます。