昭和9年に発行された津山朝日新聞と、本紙に統合された津山毎日新聞が市内の個人宅で見つかった。昭和20年代以前の本紙などは田町の本社にも残っておらず、発見されるのは極めて珍しい。当時の世相や出来事などを具体的に知る貴重な資料といえる。
新聞があったのは、八社の会社役員・金田稔久さん(48)宅。土蔵で古い書類などを探していたところ、昭和9年の大阪毎日新聞とともに、たんすの中に敷いてあった。津山朝日新聞は昭和9年3月30日の第3800号、津山毎日新聞は同年2月4日の第172号。津山朝日新聞は明治43年に創刊し、昭和10年に津山毎日新聞と作州日報と合併した歴史がある。
古い津山朝日新聞はこれまでに昭和2、8、11、14年などの紙面が見つかった例があるが、津山毎日新聞の事例はまれで、本社に寄せられた情報の中では新出資料の可能性もある。
今回見つかった津山朝日新聞の記事は、養鶏組合の発展に向けた取り組みの紹介や、「美作清酒品評会」「育雛競技会」の受賞者、商業美術展のポスター募集告知、社説「あさひ直言」など。広告は小児科や産婦人科、食料品店、呉服店、和菓子店などにぎやかだ。
津山毎日新聞の記事は、市制5周年を記念した大広告展の予告、市内小学児童旅行団の京都などへのスケジュール、岡山・倉敷・津山の3市による観光協会設立決定、奥津で副業として漆(うるし)樹の組合設立などで、一部が切り取られている。広告は履き物店や自転車店、薬局、家具店などのほか、映画と劇場の開催情報も掲載されている。
日中戦争以前で両紙とも紙面内容はおおらかな雰囲気となっており、当時の津山の活気が伝わってくる。
金田さんは「今も経営を続けている店や病院の名がたくさんあり、80年を超えてコロナ下の現在へと至る労苦を感じる。しっかりと時代を記録している新聞の大切さを改めて実感した」と話している。
本社では、古い新聞の保存と津山の歴史を知る資料として役立てるため、特に昭和20年代前半以前の本紙を所有している人の情報提供を求めている。
問い合わせは、津山朝日新聞社(☎223135)。
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市内で見つかった昭和9年の津山朝日新聞と津山毎日新聞