第11代将軍・徳川家斉の子で、津山藩松平家の8代藩主・松平斉民(1814〜1891年)が幼年の頃に書いたと考えられる書が27日、津山市に寄贈された。斉民は「確堂」の号で書や絵を残しているが、幼年期のものは少なく貴重という。
斉民は幼名を「銀之助」といい、17年に津山藩主・斉孝の養子に。24年に斉民と改め、31年に藩主となった。養子になる際に津山藩は5万石加増され10万石への復帰を果たした。
書は6歳の頃のものとみられ、「松竹」の力強い筆致と、「文政三年春日 銀之助」と書いてある。世継ぎであることを示す「津山世子」の落款もある。掛け軸に仕立てており、文字が書かれた本紙は縦38?、横69?で、軸には葵の御紋があしらわれている。
寄贈したのは南新座の菅沼俊二さん(68)。菅沼家は元禄時代、津山藩初代松平家に召し抱えられ、廃藩置県まで家臣として仕えた。書は代々、菅沼家で大切に受け継がれ、正月だけ床の間に掛けて祝っていたという。
山北の市役所で式があり、谷口圭三市長が「大変珍しく、貴重なものと聞いている。今後の歴史研究に役立ていきたい」と礼を述べた。菅沼さんは「市のみなさんに見てもらったり、津山が文化教育都市として発展していく上で少しでも役立てたらうれしい」と話した。
書は津山郷土博物館で今後、調査・研究に活用していくという。
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松平斉民が幼年の時に書いたとされる「松竹」の書と、寄贈者の菅沼さん(左)