作州人四十
◎人と食を通してハピネスを
株式会社「guriko」代表取締役 礒貝翔さん
▽前文
今回の「ザ作州人」には、あるときはイタリアンシェフ、またあるときは人気ラーメン店のオーナーの顔を持つ株式会社「guriko」代表取締役の礒貝翔さん(37)に登場願った。志の高さと視野の広さは料理人の域を超え、いまや時代を読む青年実業家。コロナ禍を耐え、その先をしっかりと見据えていた。
▽本文
岡山県庁近くにある麺処「ぐり虎」本店をのぞくと、若い女性客でにぎわっていた。1番人気は透明スープの鶏塩ラーメン。あっさりしていながらコクもあると評判だ。
「岡山で一番おいしいラーメンを目指して来ました。いまは日本一になろう、と頑張っています」
なるほど、一品一品は礒貝さんが生産者と協力し、全国から食材を厳選して完成させたもの。店舗は岡山市内をはじめ、神奈川県海老名市のラーメンストリートでも展開している。
その磯貝さんがこだわるのは味だけではない。業界の職場環境にも目を向ける。
「いままでは15時間ぐらい働くのが当たり前でした。でも、それではダメ。体を壊すか、辞めてしまう。長時間労働をなくし、給与などの待遇を良くしたい」
そのため、セントラルキッチンにし、スープを1カ所でつくるなど、一連の流れを見直し、合理化をはかった。力を入れるフランチャイズ事業にも「お店も従業員も長くお店を続けてもらいたい。共存共栄が大切」と話す。
そんな考えが生まれたのも数々の「ラーメン博」に参加。井の中の蛙にならず、全国を飛び回り、交流を広げたからだろう。本人も「情報の収集や人脈作りにもつながっています」とうなずいた。
津山市生まれ。実家は山下で喫茶店「プティポワ」を営んでいる。中学校時代は体が小さく、ジョッキーを目指した時期もあった。作陽高卒業後は「食べることが好きだった」ことから新宿調理師専門学校へ。その後は西麻布などの都内のイタリアンで修業を積んだ。
当時の料理人の下積みといえば、理不尽さがまだまかり通っていた時代。ときに「フライパンでガツンとやられた」こともあったそうだが、必死で耐え抜いた。30歳までに津山で店を出すと決めていたからだ。
そのかいあって予定より2年早く、伏見町にイタリア料理店「バル寅」をオープン。そこから「客層の広いラーメンを」との狙いから東京の名店「麺処ほん田」で習い、5年後の2017年に岡山市に「ぐり虎」を開いた。
すると、たちまち評判店に。2020年には、あの岡山版ミシュランプレートに選ばれた。ご存じの通り、ミシュランガイドといえば、飲食店、レストラン、ホテルなどを紹介する世界一有名な格付け本。その解説部分には「特製の塩ダレ」を強調し「店主は食材の扱いや技法に西洋料理の経験を生かす」と記されてもいる。
現在は妻子を津山に残して岡山との二重生活。もちろん、津山が占めるウエートは大きい。
「自分の中ではバル寅で料理しているときが一番幸せ。あそこが僕の原点です。これからも会社のモットーである”人と食を通してハピネスをつくろう”を目指して行きたいです」
人と人、地域と地域の架け橋に。礒貝さんはこれからも経営者と料理人のスイッチをうまく使い分け、次なる仕掛けを実行していく。
(山本 智行)
◇礒貝翔(いそがい・しょう)1984年(昭和59年)2月16日生まれの37歳。作陽高卒業後、新宿調理師専門学校へ。都内の有名イタリア料理店で修業後、津山市でトラットリア「バル寅」をオープン。さらに岡山市、神奈川県海老名市にラーメン店「ぐり虎」を開業し人気店に。2020年には岡山版ミシュランプレートに選ばれる。