桑山古墳群5号墳より多量の土器が出土/岡山・津山市

歴史・文化
1斜面を加工して平らにした段状遺構
         

 県古代吉備文化財センターが本年度行っている岡山県津山市平福の桑山古墳群5号墳の発掘調査で、横穴式石室内から多量の土器が出土した。そのうち、須恵器の「脚付装飾壺」(高さ約48センチ)が埋葬当時の位置で見つかり、県下でも希少な事例という。
 5号墳は円墳とみられ、土器と石室の形式から6世紀後半に築造されたと推定される。天井石などは抜き取られているものの、内部は未盗掘とみられる。遺体を納めた玄室(長さ4.4メートル)にたい積した土砂の撤去を進めたところ、奥壁付近や、玄室と羨道(玄室への通路)の接続部である袖部を中心に副葬品が出土。須恵器の杯(つき)や高杯、壺、提瓶(ていへい)、土師器のかめや壺、高杯などの土器約100点をはじめ、首飾りなどに使ったとみられる碧玉と水晶の管玉、ガラスの小玉など数点、刀子(とうす)と呼ばれる鉄製の小刀、鉄鏃(てつぞく)、馬具の一部などが見つかった。土器の形式に差があることと、その多さから複数回の埋葬が行われたと考えられる。
 脚付装飾壺は袖部に置かれ、複数取り付けられた小壺が一部破損しているものの埋葬時の位置を保っていた。長船町(瀬戸内市)などでの出土例が多いが、発掘調査で副葬状況が分かるのは珍しいという。
 遺体の埋葬については、焼き物の棺・陶棺(とうかん)が導入される前で、木棺を使ったとみられる。
 古墳の周りを巡る周溝からは円筒埴輪(はにわ)と朝顔形埴輪の破片が見つかった。元々は墳丘に立てられていたと考えられる。
 調査を担当している尾上元規総括副参事は「先に発掘を終えた桑山1、2号墳は導入期の横穴式石室を持ち、桑山南と細畝古墳群は6世紀終わりごろから7世紀にかけて築造されている。その間を埋めるのが今回の5号墳の石室ではないかと推定している。石室や埋葬儀礼の変遷を示す興味深い発見」と話している。
 また、5号墳と並行して進めている丘陵上部にある勝負峪遺跡の発掘調査では、古墳時代後期ごろとみられる段状遺構が出土。斜面を加工して平らにした床面があらわになり、熱で土が赤く変色した炉の跡が2カ所確認された。
 同センターは、国道53号・津山南道路の整備に伴い、2018年1月から佐良山古墳群の一部である桑山、桑山南、細畝の3古墳群を発掘している。

2多量の土器が出土した桑山5号墳の横穴式石室
3埋葬当時の位置で見つかった「脚付装飾壺」


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