津山城内の「旅館ありもと」解体撤去工事

歴史・文化 津山城内の「旅館ありもと」解体撤去工事
         

 山下の津山城(鶴山公園)内の南東隅の敷地に1918(大正7)年に建てられた元旅館で、市教育相談センター・鶴山塾としても活用された建物が、老朽化に伴う安全対策のため解体撤去工事が進められている。築100年を超す建築物が姿を消す。
 55(昭和30)年発行の「津山商工名鑑」によると、建物は「旅館ありもと」の名で営業していた。木造一部2階の和風建築(389平方㍍)で、資料によると玄関、座敷、台所、茶室、土蔵、奥座敷、納屋の7棟で構成。南東隅の石垣上には展望浴場があったという。
 その後は市が管理し、84年から昨年3月まで鶴山塾として活用されていた。多くの子どもや保護者に対して相談や支援をしてきた塾は、4月から小田中の旧鶴山幼稚園に移転している。
 建物は経年による老朽化が進んでおり、特に宮川を眺望する北側の急傾斜地に建てられた部分は、豪雨や地震の際には崩壊の危険性が高かった。そのまま放置すると、北東の民家方向に倒壊するおそれがあり、市は安全対策のためやむを得ず全棟の解体撤去を判断した。解体前に記録保存を行い、文化庁の許可を得て12月21日から工期に入った。
 旅館を経営していた有本家の親類の女性(元魚町出身)は「元々は住まいとして建て、その後、旅館にしたと聞いている。危険だったので仕方ないが、津山からまた一つ古い建物がなくなりさびしい思いがする」と話した。


1解体撤去工事が進む旧鶴山塾の建物。元々は「旅館ありもと」として営業していた

2取り壊し前の建物の様子
3建物の北側から望む宮川などの眺め


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