津山歴史遺構 石組み確認

歴史・文化 津山歴史遺構 石組み確認
津山歴史遺構 石組み確認
         

 山下の新地通商店街で、集会所兼倉庫の床下の水路に東西約9㍍の石積みがあることが確認された。同所は、津山城の西側を防備した「田町門」前の堀に架けられていた土橋があった場所。堀を埋めた近代以降、土橋の位置を踏襲して築かれたものとも考えられ、歴史愛好家らの間で「かつてのまちの整備の一端がうかがえ、興味深い」と話題になっている。
 美作県民局西側、元中華料理店敷地の北隣。2月末ごろ、水路上に設置されている集会所兼倉庫の床下に石積みがあるのに住民らが気づいた。地元の歴史愛好家らも見るのは初めてという。その後、石積みは反対側にもあることが分かった。土橋側になる北面は長さ約9㍍、高さ約1㍍。堀の中にあたる南面は長さ約7㍍、高さ約80㌢。北面と南面では積み方が異なる。
 かつて津山城の外周には堀が巡らされており、6カ所の門とそれに連なる橋が架けられていた。大手口にあたる京橋門に至る橋のみ木橋で、あとは土橋だった。江戸期の津山城絵図などには、土橋に石積みらしき描写は見当たらない。
 明治の廃城後、堀は埋め立てられて徐々に姿を消し、農地や市街地化していった。同商店街の東半分はかつて堀のあった場所に位置し、今回確認された水路と石積みは明治以降、まちの整備の過程で造られたものだろうか。
 近くに住む津山おくにじまん研究会員の得能良平さん(73)=田町=はこう推測する。「水路は、堀を埋めた場所にできた商店街区域の排水のために造られ、石積みはその護岸を固めるためのものでは。特に北面の石積みは津山城の堀を渡る土橋に沿っているとみられ、こうした遺構が残っていたことに驚いた」。
 同会会長で津山市史民俗編執筆者の赤坂健太郎さん(45)=瓜生原出身、岡山市=も「田町門前の土橋付近に、今まで隠れて分からなかった石積みがあることが分かった。北面は積み方から近代以降と思われる。堀を埋め立てて周辺が開発整備されていったまちの歴史の一端を物語る遺構と言えるのでは」と話す。
 津山弥生の里文化財センターは「石積みが築かれた時期ははっきりとはしないが、津山城絵図などにも表現がないことから、江戸期まではさかのぼらないのではないか。新たな資料の出現を待ちたい」としている。
 津山城下町の地中には、歴史を物語る遺構がまだまだ埋もれているのかもしれない。
 

1新地通商店街の集会所兼倉庫の床下で確認された水路の石積み。左側の北面は津山城の土橋の位置を踏襲して築かれたか


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