「美作国アートゾーン構想」をぶちあげ、現在は津山市の城東地域で観光地再生プロジェクトに取り組んでいる民間のまちづくり団体・津山街デザイン創造研究所の山本昇所長(63)=京都市=が書き下ろした、『小説 早稲田大学』が出版された。古里津山の歴史に触発され進学した早稲田大での青春の日々と、現在のまちづくり活動を交錯させた「夢に向かって頑張る人たちへの応援歌」。
山本さんは大阪生まれ、京都育ちで、母親の母校である津山高校にあこがれ、高校2年で親元を飛び出して転校した。夢を追い求め猪突猛進する人生がこのとき始まった。
早稲田大第3代校長の鳩山和夫は真庭市出身で、第3代学長の平沼淑郎は津山市出身であることに触発され、同大に憧れるようになる。津山藩が宇田川家と箕作家という日本を代表する学者を輩出していることにも刺激を受けた。「お前の成績で早稲田に入れるかと、散々言われた。浪人中は、夢を追うのもいいいが、現実をよく見なさいという手紙を恩師からもらった」と振り返る。だが「夢はビジョンであり、その目的に達するいろんな手法を考えればいいだけだ。他人は関係ない」と猛勉強する。
キャンパスライフを文字通り満喫した山本さんは、就職した大阪ガスで夢の続きを見る。社内起業家として、フランス最古の料理学校ル・コルドン・ブルーと世界ではじめて提携、世界最高峰の高級料理学校アプリーティセサモを開校させ、時代の寵児になる。
そして「(奈義町)高円の山本家に生まれたことに誇りを持て。高円の歴史を後世に伝え続けろ、と父親から言われて育った。今、津山、奈義を含む旧美作国の再生運動に取り組んでいるのは、父親の遺言でもある」と、2019年に津山街デザイン創造研究所を立ち上げ、「美作国アートゾーン構想」を提唱。21年には津山国際環境映画祭を行い、自著『県立津山高等学校』を原作にした映画「十六夜の月子」を上映した。
津山高校生時代から山本さんの夢の方程式は一貫している。
「夢は語るものではなく、現実にするもの」。
『小説 早稲田大学』でつづられた、「早稲田大学と津山」を次回から3回連載する。
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