江戸後期の津山藩お抱え絵師・狩野如水が描いた六曲一双の屏風(びょうぶ)が、岡山県津山市材木町の個人宅で良好な状態で保存されていることが分かった。本紙に連載している歴史小説「青雲山河」(竹内佑宜さん作)がきっかけとなり、所有者が本社に連絡。現存する如水の大作は少ないとされ、歴史資料として貴重という。
所有者は真木淑子さん(94)で、元々は津山市堺町にあった実家が戦前に入手したものという。高さ1メートル77、幅3メートル78。計12枚に山水や花鳥、龍、布袋などが巧みな筆遣いで描写されており、名人と言われた如水の名と刻印もある。
如水は初名を池淵宇助といい、1767(明和4)年に絵師として召し出され、如水に改名。その後、藩主の参勤交代のともをして津山と江戸を往復している。1782(天明2)年に狩野姓を許されて絵師を仰せつけられ、1814(文化11)年に死去した。
出雲街道沿いの町家に住む真木さんは、屏風を木の箱に入れて大切に保管していた。本紙で郷土史家・竹内さん(72)が執筆している同小説の邂逅(かいこう)編に如水が登場したことから、屏風の存在を連絡。津山藩の画人やその作品に詳しい竹内さんが、画風や書体などから如水が手がけた絵であることを確認した。
竹内さんは「狩野派独特の作法が各所に見られ、伝統的な技法も踏襲されており、如水の作に間違いない。如水の作は市内でも20幅程度しかないと言われており、250年ほど前の大作が良好な保存状態で現存する例は珍しく、大変貴重だ」と評価する。
久しぶりに屏風を出して眺めた真木さんは「とても懐かしい思い。これからも子孫代々に伝え、大切に守っていってほしい」と話している。
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材木町の民家で保存されていた津山藩お抱え絵師・狩野如水の屏風