町田ゼルビア社長室室長 近藤安弘さん

ザ・作州人 サッカー「J2」FC町田ゼルビア社長室室長 近藤安弘さん
         

◎サービス精神旺盛な熱血漢

サッカー「J2」FC町田ゼルビア社長室室長 近藤安弘さん

▽前文
 今回の「ザ作州人」にはサッカー「J2」FC町田ゼルビアの社長室長、近藤安弘さん(42)に登場していただいた。スポーツ新聞、サッカー専門サイトの記者を経て、球団広報に転身。地域に愛されるクラブを目指し、発信力とブランド力を高めてきた熱血漢だ。念願の「J1」初昇格へ。そのためのサポートは惜しまない。

▽本文
 偶然か、必然か。近藤さんのドラマチックな経歴をみると人生は出会いとタイミングがすべてと思える。18歳の春、故郷を離れたとき、まさかこんな展開が待っていようとは本人も思ってもいなかっただろう。

 「そうですね。これまで多くの人に会い、お世話になりました。人生の岐路では自分が楽しめるか、人に喜んでもらえるか。それを判断基準にしてきました」

 落合高から日本大学国際関係学部へ進んだ。場所は東京ではなく静岡県三島市。これが大きな転機となる。サッカーどころとあって当然のようにサッカーに親しみ、やがてスポーツ紙の記者を志す。
 卒業後、東京の日本ジャーナリスト専門学校へ。このときの講師がサンケイスポーツ静岡駐在記者だった縁から編集補助のアルバイトとして本社にもぐりこんだ。より記者職への思いが強くなり、欠員の情報をつかむや「記者をやらせてください!」と手を上げた。仕事ぶりも認められ、2003年から契約社員に。日本代表を中心に新潟、FC東京、千葉などを担当。キング・カズに取材であいさつした際、「頑張れよ!」とポンと肩を叩かれたのは大切な宝物だ。
 08年には巨人担当に。あの坂本勇人が頭角を現す場面を目の当たりにしたがサッカーへの思いは断ち切れず「一大決心」した。09年8月に講談社のサッカー専門サイトへ移籍。この決断がFC町田へとつながるのだから人生はおもしろい。
 11年12月、千葉担当時に懇意にしてもらい、その後町田のGMになっていた唐井直さんから1本の電話。広報部門強化のため、近藤さんに白羽の矢がささったというわけだ。

 「いまあるのは、人とのつながりを大切にして来たことと、自分のやりたいことをやるという、ずうずうしさですかね(笑)」

 取材と広報はいわば表裏一体。「選手に取材の意図を伝えるなどして間を取り持ったり、どうしたら取り上げられるかを考えたり。記者時代の経験が生きました」

 現在はさらに一歩階段を上がり、社長室室長としてクラブハウス建設やスクール事業の拡充、飲食事業、フットサルパーク事業などを統括する立場にある。最大の目的は地域との調和。広い視野を持ちながら細部にもこだわらなければならないが、それだけにやり甲斐も大きい。

 球団入りして10シーズン目。チームは念願の「J1」を狙える位置にいる。「町田を世界へ発信したい」。そのためならなんでもやるつもりだ。
 もちろん、郷土愛も人一倍。友人が立ち上げた地元の小学校3、4年生を対象とした「まにわ保険事務所杯サッカー大会」に協賛。町田グッズを購入し、提供している。

 聞けば、落合中では生徒会役員を務め、学校側と話し合い「長髪OK」を勝ち取った武勇伝も。人のため、人に喜ばれるためにというポリシーは兄弟、いとこの間で年長だったということが影響しているようだ。
 「家族からもそう言われます。大人やいとこに喜ばれると、ついうれしくなって(笑)」
 まだ42歳。さまざまな出会いを重ね、近藤さんは人生の■ゴール■へ向かって突き進んでいく。
   (山本 智行)
 ◇近藤安弘(こんどう・やすひろ)1978年10月20日、真庭市生まれ。落合高から日本大学国際関係学部、専門学校を経てサンケイスポーツでサッカー、プロ野球を担当。その後、講談社のサッカーサイトを経て2012年2月より「FC町田ゼルビア」職員。今年から社長室室長。町田市在住、妻と二女。


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