幕末から明治初頭にかけて活躍した津山の画人・井上雲樵(1822〜1880)の墓が、岡山県津山市高野本郷の萬福寺で見つかった。郷土の志士や文人・画人を調査・研究している竹内佑宜さん(72)が確認。津山郷土博物館の梶村明慶学芸員は「史料があまりないなか、足跡をたどるうえで重要な発見」と話す。
雲樵の墓の墓碑銘は古い資料で確認できていたが、墓の所在は長年不明だった。
井上雲樵は若くして江戸、長崎、大坂で画を学んだ。長崎では画僧として高名な日高鉄翁に師事。同年代の画人で飯塚竹斎の弟子・塘雲田とは互いに切磋琢磨し合う間柄だった。また新聞や実業など多方面で先駆的活躍をした岸田吟香をはじめ多くの志士らと交流があった。
津山藩教諭所の教師を、明治4年(1871)の廃校まで務めた。そののち有力者に招かれ私塾を開き、明治13年(1880)年に59歳で亡くなるまで子弟教育に当たった。
竹内さんは私塾があったとされる野村、高野地域に見当をつけ二十数年来、雲樵の墓を探し続けていた。そんな折、自身の菩提寺で護持会長を務める同寺の会合に出席し、元禄一揆の立役者である堀内三郎右衛門の墓を参拝。そのとき「後ろから視線を感じた」といい、振り向くと、見覚えのある墓碑銘が目に入ってきた。
「灯台下暗しとはまさにこのこと。思いがけず顕彰墓を発見することができた。萬福寺は雲樵が教えていた私塾である可能性も出て来たので、こちらも調べたい」と話す。「大激動の時代を清雅な画風で彩った人物。津山の先人たちの尊い思いを紡いでいきたい」
画人・井上雲樵の墓が萬福寺で見つかる/岡山・津山市
- 2020年5月15日
- 歴史・文化