県重文2件公表

歴史・文化
         

 県教委は、県文化財保護審議会の答申に基づき、新たに県指定とする重要文化財2件を公表した。津山藩松平家に伝わった甲冑(かっちゅう)「朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足」と、鏡野町上斎原の「恩原1遺跡・恩原2遺跡出土石器」(岡山大学所蔵)。これらが加わり、県重文は499件となる。
 同甲冑は、ヤクの毛を赤く染めた赤熊(しゃぐま)で覆った変わり兜(かぶと)、朱漆塗りの小札を啄木組の組みひもで連結した胴が特徴的。胸板に金蒔絵(まきえ)で越前松平家の家紋である葵紋と巴紋を交互にあしらうなど徳川家との強い関係を示しており、製作時期は江戸時代前期と考えられる。松平家の記録では、関ヶ原の戦い(1600年)の直前、結城秀康が父・徳川家康から甲冑を拝領しており、記述と特徴がほぼ一致。ただ胴の金具まわりなど細部の形状から、拝領品を意識して家格を象徴する武具として後に作られた可能性が高いという。個人所有で津山郷土博物館蔵。
 同石器は1984〜97年、上斎原の恩原湖南側に位置する両遺跡を岡山大学などが発掘調査した際に確認された旧石器時代の計1049点。ナイフ形石器、石刃(せきじん)、スクレイパー(へら状器具)などで、石材に中国山地に多い水晶、香川県に多いサヌカイト、島根県松江産の玉髄(ぎょくずい)とめのう、同県隠岐産の黒曜石、東北・北陸地方に産する珪質頁岩(けいしつけつがん)などが使われ、他地域との関係がうかがえる。
 県教委文化財課では
「甲冑は、よろいびつにあった古文書からも越前松平家の系譜である津山松平家の什宝とされたことがわかり、優れた美術工芸品、大名家伝来の歴史資料として貴重。石器類は、旧石器時代の生活様式のみならず、遠隔地との文化的交流を推察できる。特に細石刃石器群は、東北地方で栄えた湧別技法が中国地方まで南進していた事実を初めて明らかにしており、学術上の価値が高い」としている。

津山藩松平家伝来の甲冑・朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足


恩原1遺跡・恩原2遺跡出土石器の一部


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