戦時中の蒜山では何が起こっていたのか―。1935(昭和10)年から終戦まで約10年間存在した「蒜山原陸軍演習場」の実態と地域の様子に焦点を当てた企画展が、真庭市蒜山上長田の蒜山郷土博物館で開かれている。貴重な資料や証言でその実像に迫り、戦争の教訓と平和の尊さを未来へと伝える。9月12日まで。
「蒜山原陸軍演習場の全貌――守り、伝え、誓う」と題して開催。前原茂雄館長によると、演習場は当時日本一の広さを誇り、極めて実戦的な演習が可能で、各地から多くの兵士が送り込まれた。一方、地域社会はさまざまな形で演習場を支える側面を有していた。戦後、蒜山地域が観光地として発展する中で、「負の歴史」の記憶は薄らいだが、古老への聞き取り調査などで全容が解明されつつある。
会場には演習場設置を決めた議会資料や陸軍と交わした契約書、使用された砲弾と銃弾、演習場を撮影した絵葉書、演習場全図、兵士所持の作戦図、住民との逸話を紹介するパネルなど約100点を展示した。
地域との結びつきや演習内容などを幅広い視点で解説している。設置に際しては、廠舎建設は現金収入が少ない地元住民にとって有益だった一方、周辺の道路整備では朝鮮人労働者が多数動員され、過酷な労務と犠牲があったことを説明。周辺には軍に納入するうどんや豆腐などを作る業者、陸軍指定の旅館が存在した。兵士を身近に感じていた地域の子どもたちの中からは軍人に憧れ、志願する者も多かった。古里に妻子を残してきた兵士にとっても地域の子どもたちを見ると懐かしさがこみ上げ、頭をなでて涙ぐむ者もいたという。戦後、元兵士から蒜山の民家に送られた感謝の手紙も並ぶ。
知られざる訓練の様子が浮かび上がる。厳しさに耐えかねて逃亡や自殺する者さえあり、戦争末期には爆弾を持って戦車に飛び込む特攻訓練が行われた。さらに、軍事機密の毒ガス実験が日常的に行われていた事実を古老の証言などで明らかにしている。
また、美作地方には空襲はなかったとされてきたが、蒜山地域に爆撃機B29が飛来し、山中に焼夷弾を投下した「県内初の空襲」にもふれている。大きな被害はなかったものの、地域は大混乱した。
蒜山地域に多く残る戦争遺跡を紹介。木造の兵舎やコンクリート構造物のトーチカ、門柱、地下壕などが現存するが、朽ちかけたり忘れ去られたりしているという。企画展では、将来への保存や平和学習の拠点としての活用について課題を提起している。訪れた人たちは一点一点に足を止め、戦争と平和について考えながら熱心に見学している。
水曜休館。高校生以上300円、中学生以下無料。問い合わせは、同博物館(℡0867-66-4667)。
蒜山郷土博物館で戦争展
- 2021年8月13日
- 歴史・文化