吉井川左岸の瓜生原地区に大正時代に建立された「大正池碑」と呼ばれる石碑がある。碑文は「鉄道が開通して舟運の仕事が廃れ、池を作って農耕で仕事を興そうとした…」と刻む。近代産業化の中で職を失った高瀬舟の船頭について記しており、地域の歴史を物語る資料として興味深い。
高さ196㌢、幅93㌢、厚さ27㌢で、吉井川沿いにある見内原集落の南端にひっそりと建つ。近年忘れ去られ、草木に覆われていたが、昨年末、郷土の歴史を調べている赤坂健太郎さん(45)=瓜生原出身、岡山市=が周辺を踏査して偶然発見し、その存在に光を当てた。所有者がササを刈り取ってその姿が見えるようになった。
碑文は「和気山の麓を流れる津山川(吉井川)のそば、勝田郡河辺村に見内原という小さな村があり、田畑が少なく船頭による舟運で業をなしていた。明治の世になり鉄道が開通し、舟運は廃れて多くの村人が職を失った。新しい池を造り、農耕による仕事を興そうと計画した」と記述。「大正池は大正4年4月起工、14年10月にしゅん工し、新田が開かれ、村人は農業に従事して生計が潤った」とする。
その事跡を伝えるため、15年3月に見内原耕地整理組合が建立。関係者の名が彫られているほか、制作者(石工)は小西源太、撰文(せんぶん)と書は丸尾重太郎によるものとある。池は碑より東側の山中に築かれている。
吉井川は高瀬舟が往来する重要な交通路だった。近くに住む小林睦茂さん(72)によると、かつては川沿いに船着き場や係留するために穴をあけた岩があり、地域には船頭と引き子が多くいたという。碑が建つ場所からは、高瀬舟の引き綱の跡が残る大岩の「川中山王」を眺められる。小林さんは「昔を知る証しとして石碑をみなさんに再認識してもらえたらうれしい。一方、今では大正池を使って耕作をする人は少なくなり、時代の流れを感じる」と話す。
折しも、市出身の俳優・オダギリジョーさんの監督映画「ある船頭の話」が先日、市内の映画祭で上映されたタイミング。碑と映画に関係はないが、近代化の波が押し寄せる明治と大正のはざまで時代に取り残される船頭を描写している点が重なる。
赤坂さんは「船頭について記した石碑は市内でも珍しいと思われ、吉井川の船頭の存在を裏付ける資料がまた一つ見つかった。掘り起こされた地域の歴史を後世へと大切に伝えてほしい」と語った。
また赤坂さんは石工の小西源太、撰文と書を担当した丸尾重太郎の情報を求めている。
問い合わせは、津山朝日新聞社(☎223135)。
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吉井川の船頭について記された「大正池碑」を調べる赤坂さん(左)と近くに住む小林さん=瓜生原の見内原地区