プロ野球界のスーパースター・長嶋茂雄さん(享年89)の3日の訃報に、立教大学野球部で1学年先輩だった津山市在住の池上善朗さん(91)は悲しみをにじませた。「野球界の損失。寂しい」と静かに話す。
池上さんは津山高校野球部時代、主戦投手で4番を務め、大会でも好成績を残した。早稲田と立教から声がかかり、立教へ進学。当時は高円寺に下宿し、池袋のキャンパスから4キロ先のグラウンドへ通っては、スパルタで知られる砂押邦信監督の厳しい指導のもと、連日汗を流した。元日本ハム監督の大沢啓二さんも先輩だった。
「2年生の時、鳴り物入りでものが違う新人が入ってきた」。池上さんがそう振り返るのが、長嶋茂雄さん。1年生ですぐに4番・サードの座をつかみ取った。杉浦忠さん、本屋敷錦吾さんの2人と並び、「突出した存在だった」という。
在学中は言葉を交わす機会は少なかったが、縁は続いた。社会人野球を経て津山へ戻った池上さんは、実家の製綿業を継ぎながら、津山高校野球部のコーチとして後進を指導。1970(昭和45)年には、 立教会津山支部の尽力で、巨人と阪急の招待試合(オープン戦)を実現させた。
同年3月27日、試合前日。長嶋さんをはじめ、王貞治さんなどスター選手が津山に降り立つと、駅前には数百人が詰めかけ、熱狂に包まれた。巨人は山北の雅城閣、阪急は山下のお多福旅館に宿泊した。
夜には立教の野球部OBということで、長嶋さんと話す機会がもらえた。「野球部時代の話を1時間ほど語り合った。『あの頃は大変だった』 と談笑した」。その光景は今も記憶に鮮明に残っている。
翌28日の試合では、2万5000人が球場を埋め尽くし、巨人が9ー3で勝利。阪急を率いたのは立教の先輩・西本幸雄監督。旧久世町出身の石井茂雄投手も出場していた。
「試合が始まったら、 どっちにも勝ってほしい。 複雑な気持ちだった」
「長嶋さんは、ほがらかで誰に対しても気さく。スターだけど、親しみやすい人柄だった」と振り返る。
あの日、池上さんが長嶋さんと一緒に撮った写真は、思い出の一枚として心に残り続けている。
