B’z凱旋コンサートに思いを寄せて|おかえり稲葉さん2017
「学生時代に一緒にバンドを組んでいた頼経君が原点です」
世界に誇るロックスターに登りつめた稲葉浩志さんが、音楽活動を始めたきっかけとして常に挙げられてきた人物こそが、津山高校の同級生で現在英田中学校教頭の頼経英博さん(53)=大谷=だ。
「津山文化センターでもいつも通りのステージを披露してもらいたい」。22日の津山公演に向け、親友が送ったエールは、飾らないシンプルなものだった。
「陰ながら応援するのが私の役目」。 意外なことに、デビュー以来連絡は取っておらずコンサートに足を運んだこともないという。数十年の月日が経つが、今もなお稲葉さんの中にある確かな記憶。それは、2人が過ごした日々に刻まれている。
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昭和55年、稲葉さんは津山東中、頼経さんは鶴山中から津山高校に入学した。「お互い存在を知らなかったと思う」。当時は1学年10組。1年生の時はクラスも校舎も違って接点はほぼなかった。
中学1年からギターを弾いていた頼経さんは当時、ヘビーメタルバンドの「ラウドネス」に熱中。同級生の音楽好きにはカセットテープを貸して洗脳していたといい、2年生で隣のクラスになった稲葉さんもその中の一人だった。
コピーバンドを組みたいと考えるようになったころ、2人はぐっと近づいた。ラウドネスの歌声は、かなりの高音。困難と思っていたボーカル探しは放課後にふと目をやったテニスコートで幕を閉じる。
「ファイト!」。力強く、高い声。部活動で一生懸命練習する稲葉さんの姿だった。
「『彼しかいない』と思った」
その後ベース、ドラムがそろい、バンドを結成した。初めは「人前で歌うのは恥ずかしい」と言っていた稲葉さんは次第に、休み時間やスタジオでの練習に没頭するようになったという。
重点的に練習したのは文化祭への出演が決まったころで、本番を目前にして毎日のように集まるようになった。しかし迎えた当日、練習し過ぎたせいで声をからしてしまい、高音がきれいに出なかったという。「終わってから、彼は何も言わなかったが、悔しそうな表情を浮かべていた」。
卒業後、稲葉さんは進学で横浜に。頼経さんも県外の大学に進んだが、帰省のたび頼経さんの家に集い、お気に入りのラウドネスを演奏した。「大学2年の時だったかな、彼がボーカルスクールに通い始めたのは。高校時代と比べてさらに歌唱力が増していた」。
大学の4年間を終え、稲葉さんはすぐに音楽の世界に進んだ。頼経さんはプロデビューを知った時、内心ほっとしたという。「大学生活でバンドに熱中していたのは分かっていたから、正直この世界に引き込んだ責任を感じていた。でも彼は本当に歌うのが好きだった」。
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あれから約30年。活躍をテレビなどで見るのが楽しみの一つになった。「私もファンの一人」。頼経さんの自宅にはB’zの全てのCD、DVDがそろう。
「何歳になってもステージに立ち続けてほしい」
いまも頼経さんはギターを続け、これまでに何本も買い換えたという。高校から大学まで使い、2人と時を刻んだエレキギターは部分的にさびもきた。そのラウドネス・高崎晃モデルの真っ赤なランダムスターを手につぶやく。
「これを見たら絶対懐かしむだろう。いつかどこかで、あの日のように皆で演奏してみたい」。