津山市城東地区が2013年に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定され、10周年を迎えた。10年の間にまちはどう変わり、そしていまどんな未来図を描いているのか―。城東のまちづくりをリードしてきた6氏をゲストに迎え、思いや夢を語り合って頂いた。
―自己紹介をお願いします。
中江 津山市連合町内会城東支部長、城東まちづくり協議会長、上之町三丁目町内会長を務めています。
有木 城東生まれ城東育ちです。出雲街道津山城東むかし町は1回目から参加しており、稼業である不動産業を通して地域のことを考えることも多いです。
河野 生まれは勝間田町、70歳のころ津山に帰郷しました。叔父の洋画家・河野磐が生家の一部を改装し、私設の美術館として住んでいましたが、病で倒れたため、美術館は弟夫婦が運営、私が住んで留守番をしています。生家が今もこの地区に存続していることは大きな喜びです。
土山 2020年に地域おこし協力隊員として城東に着任しました。3年間の活動後、有木さんの力添えもあって不動産屋を起業しました。また有木さんと一緒にNPO法人・みつくりを立ち上げました。中江さん、河野さんに理事を務めていただいています。
須江 元々工場が東新町にあり、跡地に15年前から移り住んでいます。先日ショールームとカフェをオープンしました。「つやま城東まちかつ。」の会長を今年からさせていただいていて、つやま城東まち歩きアート&クラフト展と同時に「横野和紙のあかり展」の1回目を開催することができました。
石田 大隅神社の神主をさせていただいております。2020年に資格を取りに行ってから、次々に神主としてご奉仕させていただく機会が舞い込んできて、今に至っております。豊かな森に囲まれた神社は季節の移ろいと共に節目節目に行事があります。自然のなかに身を置く機会としても、地域コミュニティにとって大切な場所であると思っています。
―重伝建選定から10年を経て、どう変わりましたか。
有木 ライオンズクラブで橋本町の伝建入口に石碑を建てたり、駐車場に案内板を建てたりしたとき、背筋が伸びる思いがしました。これが一番大きいです。
河野 大分新しい住民が住まわれるようになりましたが、昔からの代々過ごしておられた方も多くおられ、現在も住みやすいまちであると思います。重伝建が関係しているか分かりませんが、勝間田町は空き家もずい分減りました。
須江 京都の叔父が、津山に来ては「本当に民芸も和菓子も町並みもいいものが沢山ある」と言いながら、一方で古いものが次々と失われていることを危惧していたのを子どもながらに覚えています。重伝建になっていなかったらこの町並みはもっと損なわれていたかもしれません。外部に評価されたことで、大切に守り育てられてきた方々の頑張りが認められたように思います。
石田 地域の歴史・文化に目を向ける機運が高まったことは素晴らしいと思います。例えば、参拝にいらっしゃった方が、玉垣や狛犬などに刻まれた寄進された方のお名前を指して、ご先祖さまだと教えてくださることがあります。歴史を共有する財産があることで、こんなにも奥深く立体的に当時をしのぶことができ、先人を尊ぶことができるのだと、未来へ結びつなげていきたいと心が引き締まります。
―有木さんの会社が町屋を改修して「みつくり」を冠したホテルを建てたのをはじめ、箕作省吾の「坤輿図識」のデジタル絵本をつくるなど、「みつくり」に力を入れています。
有木 「箕作阮甫のまち城東」を全国に売り出したい。「みつくり」あってこその重伝建であり世界に誇れる大偉人の一族。ただ、一般の人は箕作の字が読めない。だからひらがなにしました。
土山さんが制作した箕作省吾の坤輿図識のデジタル絵本が刺激になりました。坤輿図識は吉田松陰の松下村塾で教科書に使われ、高杉晋作らに影響を与えたと知り、萩の松陰神社を訪ねました。その旨が記されている説明書きを見て、改めてすごさを実感しました。
土山 坤輿図識の実物は津山洋学資料館にあります。また、デジタル絵本は、箕作阮甫邸で常設展示しています。省吾は阮甫の婿養子の跡取りで、当時最新の世界地図とその参考書・解説書をたった3年で書き、結核で死にました。松下村塾で使われていたエピソードは大河ドラマ「花燃ゆ」にも出てきます。
最初に津山洋学資料館に行った時、解体新書ばかりが注目され、第2室にひっそりと置かれていたから「こんなにすごいものがあるのに」と思ってまちの人に聞くと、誰も知らない。地元の人にもっと知ってもらいたいと思い制作しました。声優として城東地区の皆さんに出演していただきました。ここにいる石田さんはお芝居の経験があり、プロ顔負けの演技に皆さん驚いていました(笑)。
津山まちじゅう博物館のコンソーシアムの推進マネージャーをさせてもらっているのですが、箕作阮甫を津山を代表する偉人として、人づくりの模範に据えていけないかと新たな取り組みを始めました。
有木 「みつくり」グッズと土産物の開発にも取り組んでいます。今日中江さんが着ている「みつくり」Tシャツはその第一弾。クッキーやまんじゅうも試作を重ねています。
―一番のお薦めはどこですか。
有木 城東の魂である大隅神社。重伝建地区に入っていませんが、城東の守り神です。
須江 同感です。
有木 多くの人に参拝いただき、城東の心に触れていただきたい。しかし残念なことに、人出はおとなしい。
土山 本殿をはじめ神門、昭徳館、玉垣、石灯籠、狛犬、手水鉢、幟(のぼり)立石など、貴重な建造物が多数あります。もっとPRしていきたいですね。
有木 どんなおかげがありますか。
石田 末社を含めて霊験あらかたな神様がたくさんおられて、どの神様もご神徳が素晴らしいのですが、一般的には病気平癒や縁結びのほか、温泉や薬などです。
有木 愛知県のお宮の、ハート型のピンクの縁結びの絵馬が話題になっていました。
中江 ちょっとした工夫が必要かもしれない。
石田 昭徳館は駐車場にしようかという案が出ていたところ文化財に指定されて、思い出の風景が残って良かったと思っていました。立派な建物も使わないと古びていくだけです。最近、昭徳館を活用したいというさまざまな声が寄せられています。
有木 映画を観た記憶があります。
中江 武道ツーリズムで使えないかという問い合わせもありましたね。うまく使えば生かせそうです。
須江 城東の住民が大隅さんに心を寄せ、一つになることが一番大切。そのためには城東屋敷だけではなく昭徳館や大隈さんの境内に集まる機会を増やして、城東の中心となるにぎやかな大隈さんになってほしいです。
石田 境内の池の大掃除を皆さんにお声かけして、ボランティアでたくさんの方に御奉仕いただきました。その後、池の様子をうかがいみる参拝者の方のお姿をちらほら拝見します。地域の皆さんの共有の思い出ができたと思うとうれしいです。神社が人と人とをつなぎ、人と場所をつなぎ、多くの人が気持ちよく笑顔になれる場所であってほしいです。
―地域の課題は。
中江 観光振興の面では、駐車場が足りません。また、津山市などが国道53号沿いに計画していた道の駅城東が中々前に進んでいません。期待が高いだけに残念です。
有木 不動産業を営んでおり、重伝建地区内で西新町を中心に中之町などで家を買ってきたが、景観保護の目的で全部残しています。1棟改装しましたが、大金がかかる。津山市は約800万円助成してくれるが、国の補助金がなければ、とんでもないことになります。
須江 国は観光に積極的に予算を付けています。フォローアップしていく必要がありますね。
有木 城東に拠点がある津山街デザイン創造研究所というところの、城東地区を計画地域として観光地再生に向けた事業プランが、観光庁の助成事業に採択され、4宿泊施設をはじめ計8の施設ができました。私どものみつくりホテルも助成を受けています。城東には津山鶴山ホテル、城下小宿糀やがあるので、宿泊面では何とか体面を保てているのではないでしょうか。
―飲食店が増えてきた印象があります。
有木 全く足りていません。有名な観光地はにぎわいをつくる仕組みが良くできている。
須江 お店がなければ人は来ませんが、にぎわいのないところに出店は望めません。城東地区も高齢化率が高いですが、十三の小路があり散歩するのが心地よい場所。暮らしにくくなるので「観光客を増やしてほしくない」という声があるなか、どう進めるか。地元の人は観光客が増えてきたことにまだ慣れていません。津山で観光客1人が落とすお金は平均6000円程度と、とても低いのが現状ですが、観光客が増えることで地域経済が活性化され、観光用と地元用のお店が増えれば不動産価値も上がり、その結果近所で買い物しやすく、お年寄りにとっても住みやすい、子育てもしやすいウォーカブルシティになれば快く受け入れてくれるようになると思います。
―住みやすい地域づくりと観光振興という2つの目的は共存できるのでしょうか。
有木 住む人が増えないといけません。上之町はだいたい住まいで、重伝建になっている場所は昔店舗だったところ。
河野 そう、昔から商家及び職人のまちとして続いていて、元々住み易いまちです。
有木 そこでみんな買い物をしていたが、今は全くないので、やはり経済を回す仕組みづくりが重要です。
河野 私が子どものころの勝間田町は、我が家が町医者、そして綿打ち屋さん、大工さん、桶屋さん、豆腐屋さん、散髪屋さん、練炭屋さん、駄菓子屋さん、時計屋さん、風呂屋さん、魚屋さん、ブリキ屋さん、洋服仕立屋さん、八百屋さん、そして本家苅田酒造など、サラリーマンは2家しかなかった。隣の林田町には茶苅田、足袋苅田など商品を冠した苅田一族の商家がありました。いまは従来からの商家や職人の方も少なくなったので、若い世代が帰ってくる要素も低いため、かなり厳しい状況になることが容易に想像されます。今後は、住民の方の生活環境を大きく壊さないようにしながら、現在進められている飲食店・宿泊施設の誘致など観光振興で活性化しながら、共存共栄できる仕組みづくりが大切だと思います。
―火災が発生しました。
中江 城東地区では4回目です。木造の家屋が密集している以上、リスクは高い。「火を出すな」ということを住民で徹底して共有したい。市による連動式火災報知機設置が順次行われています。焼け跡の整備は、重伝建の決まりがあって、中々一筋縄にはいかない。大きな課題ですね。
―いまどんな整備が進んでいますか。
中江 市が城東、城西の重伝建地区を含む道路の無電柱化を進めようとしています。
―期待は高いですか
中江 無電柱化により景観が良くなるのはもちろん、歩道だって広くできる。観光地としては大いに期待しています。ただ、皆さんのご指摘のとおり、城東は生活者、とりわけ高齢者が多い。無電柱化により車のスピードが上がる可能性がある。また工事はかなりの長きにわたります。その間の商売はどうするのか。計画は多面的・多角的に考察されなければなりません。
土山 国交省が進めている「ウォーカブル推進都市」の話を講演会で皆さんと聞きました。城東はこれが良いと思いました。安心・安全に歩けて、道でカフェテラスが広がるなど、居心地が良く歩きたくなるまちなかづくりです。ただ、先ほどから何度も出てきていますが、ここは生活道路でもあるので、住民の皆さんとの合意形成が非常に大切になります。まず交通安全の観点から皆さんと議論していきたいと考えております。
有木 コンサルタントを呼んで何度も話を聞きましたが、理想だけでは何も解決できません。小さなことから一つひとつ実現していく。NPO法人の立ち上げはそうしたきっかけづくりです。城東を良くしたいという思いはみんな一緒です。
土山 一方通行化などを実験的にやってみて、意見を聞いていきたい。まずは波紋を起こし、その広がりを見ながら、着実に一歩一歩やっていく。
河野 重伝建ではありませんが、上之町筋をどう活用するかも重要です。上之町筋は、出雲街道筋が6町内会あるのに比べ、7町内会あり、ほぼ100%住居で人口も多い。出雲街道筋が商家であったのに比べ、上之町筋は下級武士の住居、東の寺町とも呼ばれているお寺群、東の守り神である大隅神社など変化に富んでいます。千光寺のしだれ桜もありますし、寺社のいいところをもっと宣伝することも大切ですね。
須江 その通りですね。線引きしてしまうとばらばらになる要因になる。出雲街道筋だけでなく小路でつながった上之町筋があることが魅力です。中心市街地や城下、城東、城西地域も同様。「津山をともに盛り上げようぜ!」とそれぞれの長所を生かして持ち場をオーバーラップしながら人と人が交流していけば楽しく前に進むようになるはず。個人的にまずは津山駅からの動線を中心市街地に集めて、食と観光でにぎわいをしっかりつくり、そこから城北、城東、城西エリアに人が流れるような感じが良いと思っていますが、素敵な意見をもっと集めて100年後を見据えた長期ビジョンづくりが必要だと思います。
土山 それこそ津山まちじゅう博物館構想で津山市がやろうとしていることだと思います。こうした市民の熱い思いを反映させることが大切ですね。
中江 大きな火事があったり、年々人口減少が進んできたりと大変な状況が続いておりますが、幸いなことに力を貸してくれる人たち、特に若い人たちが積極的に関わってくれるようになりました。更に暮らしやくす魅力あるまちにしていくために皆さんと一緒に励みたいと思います。
―石田さん、城東の守り神の神主として一言いただけますか。
石田 神社は、本来の自分自身に立ち戻る場所、自然と共に生きてきた日本人を思い出す場所でもあると思っています。新年の皆様の美しい参拝のお姿もその表れだと思います。氏子地域から津山へ、それから広く広く、調和を結びつなげていきたいですね。
<出席者>
津山市連合町内会城東支部支部長
城東まちづくり協議会会長
中江 義政氏
津山市連合町内会城東支部副支部長
城東まちづくり協議会副会長兼観光イベント部長
有木 良治氏
津山市連合町内会城東支部副支部長
城東まちづくり協議会副会長
河野 吉雄氏
城東まちづくり協議会顧問
NPO法人みつくり理事長
土山 浩司氏
つやま城東まちかつ。会長
須江 健治氏
大隅神社神主
石田 喜子氏
司会 津山朝日新聞社 福田邦夫