今月の「ザ・作州人」は海外イベントチケット予約代行業「マルコポーロジャパン」(東京・江東区)を経営している花村浩二さん(51)を紹介する。信用と安心を提供し、創業22年。欧州サッカーやメジャーリーグなどの貴重なチケットの手配をしてきた。学生時代から世界を旅して回り、訪れた国はなんと106カ国という旅の達人でもある。
旅はいいもんだ。そこに自分の好きなスポーツ観戦や音楽イベントなどが絡めばもっと楽しいものになる。旅打ちが趣味の私にとって花村さんとの会話は「そうそう、それ」と共感できる部分も多く、刺激的だった。
「入手が困難なチケットを適正な価格で届けるのが私たちの仕事。そして海外イベントの素晴らしさを知っていただくことが、私たちの何よりの喜びでもあります」
聞けば、ドジャース大谷翔平選手の日本開幕戦のチケットも取れた可能性があったとのこと。早く知り合いになっていればと思うが、花村さんが手配しているのはメジャーリーグの他に欧州サッカーやNBA、F1グランプリ、オペラ、ミュージカルなどの多岐に渡る。
創業したのは2004年夏。松井秀喜さんのファンだった両親をニューヨークのヤンキースタジアムに招待し、2人の喜ぶ横顔を見たことがきっかけだった。松井観戦はその後も2年続き、日本での開幕戦にも招待した。
しかし、ここに至るまではドロップアウトしかける場面もなくはなかった。津山高出身。柵原中時代はハードな練習をこなし、陸上の有望選手としてならしたが、高校ではその反動が出た。自称「麻雀部」というほど自由を謳歌(おうか)した。
旅に目覚めたのは1993年、大学2年の夏。都会での生活になじめない日々を過ごす中、ニューヨークに留学していた友人を訪ねようとしたところ、そこはマンハッタンからバスで3時間の田舎町…。ぼうぜんとなった。続いて船で渡航をした中国もあまり楽しめなかったそうだが、3度目の海外旅行でシンガポール、バンコクなど東南アジアを訪れ、ようやく旅のおもしろさを知った。
「幸運にも当時は円高でアルバイトして貯めたお金でパッと海外へ行けた。旅で出会った人々に多くのことを学びましたし、1万円で1カ月生活できる国もありました」
学生時代に訪れた国は40カ国以上。しかし、バックパッカーを楽しむうちに日本社会とのズレが生じる。そのうえ、世に言う就職氷河期が忍び寄っていた。
「自分は大丈夫という根拠のない自信があったんですが、新卒で就職できず。当時は一度レールに乗れなかった人間を受け入れる環境は企業側にも社会にもほとんどありませんでした」
7年ほど旅行を続けながらの浪人生活。30歳が近づくころ、アルバイト先も決まらない状況になった。
「いよいよ、これは自分で起業するしかないかな、と思うようになって。輸入雑貨を扱う小さな商社で非正規労働していた経験をいかそうかとも考えましたが、本当に好きなことは何かと問いかけたとき、キーワードとなったのが旅行でした」
人は時代や環境にほんろうされるものだ。しかし、乗り越えるか、漂うかは本人次第。「死ぬ気で貯めた300万円」で起業し、会社名は「東方見聞録」を著した旅行家マルコ・ポーロにあやかった。もちろん、当時サッカーセリエAの中田英寿さんやイチロー、松井秀喜さんら海外での活躍が追い風になったのは言うまでもない。
とはいえ、起業直後は時代にマッチした新サービスにもかかわらず、認知度が低く数カ月で倒産のピンチに。そこでインターネットで広告を打ったのがきっかけで一気に依頼が舞い込み、その後は安定経営。それもこれも時代に合わせてアレンジしながら依頼者の立場に立った真心の対応を貫いているからだろう。
そんな花村さんに今後を聞くと「会社を大きくしようとは思っていません。妻をいろんなところへ連れて行ってあげたい。自由に働いて行きたいときに行きたいところに行くのが理想。いまは忙しい夏なんかは休みが取れないので、60歳でこの仕事を辞めようと思っています」と“ゆるファイア”を宣言。地元の若者には「好きなことをやった方がいい。私が独学で英語を学んだように好きなことなら頑張れる」とエールを送った。
花村さんは自然や野生動物にも興味があり、近々インドネシアのコモド島に出かけ、あのコモドドラゴンに会いに行くそうだ。思えば花村さんが初めて海外旅行でニューヨークを訪れた93年と言えば、私がゴルフの取材でアメリカ本土に初めて足を踏み入れた年。「あのころ、日本円が強くて1ドル80円ほどだったよね」。すべての経験は人生の肥やし。こんな会話をしていると、人生にムダなことはないと思えるし、これまでの旅の思い出が鮮やかによみがえり、また旅に出たくなった。(山本智行)
◇花村浩二(はなむら・こうじ)1973年8月13日生まれ。柵原中から津山高を経て明治大。学生時代からバックパッカーとして40カ国以上を旅した経験をいかし2004年、30歳のときに有限会社「マルコポーロジャパン」創業。就職氷河期世代。60歳で密かに“ファイア”を目指している。