【ザ・作州人】 バー「パサドール」マスター 池田学徳さん

ザ・作州人 池田学徳さん
池田学徳さん
         

作州人九二

◎サンフレでの思い出を胸に

 バー「パサドール」マスター 池田学徳さん

 今月の 「ザ・作州人」 は元Jリーガーで現在、 広島市中区にある人気のバー 「パサドール」 を営む池田学徳さん(44)に登場していただいた。 わずか1年で現役に見切りをつけ、 大学へ進学。 その後、 広島で10年間のサラリーマン生活を経て独立した。 アスリートのだれもが直面するセカンドキャリア。 その支えになったのはサンフレッチェ広島時代の教えだった。
  ◆ ◆ ◆
 その店は 「バーの激戦区」 と言われる広島の繁華街、 流川の一角にあった。 実は池田さんとは何度か連絡を取ったことがあるが、 照れ屋のようで取材は進展せず。 今回は半ば押しかける形で店のドアを開けた。
 最初は少々驚いた様子だったが、 そこはバーのマスター。 グラスの氷が溶けるとともに程よく打ち解け、 半生を静かに語ってくれた。
  「ボールを蹴るのが好きだった少年が夢だったサッカー選手になり、 いまこうして店をやらせてもらっている。 両親をはじめ、 出会ったみなさんに感謝しかないです」
 運命とは不思議だ。 津山FCでサッカーを始めた池田さんは小学6年では岡山選抜。 1993年春にはJリーグがスタートすることが決まっており、 卒業文集に 「夢はJリーガー」 と書き込んだ。
  「もし、 Jリーグができるのが2、 3年遅かったらどうなっていたんでしょうね」
 次なる転機は津山西中2年の終わりに訪れる。 警察官だった父・美知雄さんの転勤に伴い、 笠岡市へ。 だが、 転校先の新吉中にはサッカー部がなかった。 そんなとき、 母・晴美さんが探し出してくれたのが倉敷市と隣県の福山市にあるクラブチームだった。
 選んだのはU―NO福山ジュニアユース。 これがきっかけでFWとしての才能を見い出され、 サンフレッチェ広島ユースへとつながるのだから人生はおもしろい。
  「転校していなかったらどうなってたんでしょうね。 福山を選んだことでJリーガーに近づけた」
 高校は広島県立吉田高へ進み、 サンフレの下部組織で鍛錬する日々。 卒業後はチームの寮に入り、 トップ入りを目指したが、 道は険しかった。
  「同じポジションに日本代表、 豪州代表の選手がいて、 圧倒されてしまって。 サッカーではメシは食えないと早々に見切りをつけました。 いま思えばちょっと早すぎたかも」
 その後は高梁市にある吉備国際大へ進んだが、 膝の靱帯 (じんたい) を痛めて3年生からはサッカーを断念。 学業の傍らバーでアルバイトをしたことがいまにつながる。
  「バーの居心地が良くて、 いつかはバーをやりたいとずっと思っていたんです。 やがて、 池ちゃんがやるならとなって。 開店後はサラリーマン時代やサンフレの先輩方に支えられました」
 10年間、 保険業界や不動産業界で働き、 14年11月にオープンした。 店名のパサドールはスペインのサッカー用語。 「通る」 から転じてパスを出す人を意味するが、 なぜ、 この店名にしたのか。 しっかりとした理由があった。
  「サッカーでは点を取る側でしたが、 これからはパスする側に、 と思ったんです」
 実際、 この店で出会い、 結婚したカップルが2組いるそうで、 おそらく絶妙のキラーパスを出して好アシストしたに違いない。
 早々と退団したサンフレッチェ広島でも貴重な経験をした。 いまをときめくサッカー日本代表の森保一監督にはかわいがられ、 赤のフォードプローブの中古車を格安で譲ってもらったそうだ。
  「森保さんはいまも昔も飾らない方。 一緒にプレーしたことは誇りです」
 さらに、 人材育成に力を入れ、 サンフレの礎を築いた元総監督の今西和男さんの薫陶を受け、 それがいまに生きていると感謝する。
  「サッカー選手の前に1人の人間であれ、 と教えられました。 常に謙虚であれ、 とも。 僕も今西チルドレンの1人です」
 現在は広島市内で妻と小2の息子さんとの3人暮らし。 穏やかな日々を過ごしているようで 「ここまでの人生、 後悔はありません。 いまはここで1日でも長く続けられたらと思います」 と話してくれた。
 津山での思い出を尋ねると 「中学で津山を離れてそれっきり状態ですが、 やっぱり津山FC。 僕の原点です。 いい仲間もいたし、 竹内先生には基礎から教えてもらった。 感謝しています」 と懐かしそうに振り返り 「それに津山FCからすごい選手がどんどん巣立って行っているのも素晴らしい」 と、 誇らしそうだった。
 パサドールはお客さんと程よい距離感を保っており、 お世辞抜きで居心地のいい空間。 それはマスターの視野の広さと落ち着いたたたずまいからくるものだろう。 翌日も尋ねたのは言うまでもない。
    (山本 智行)
◆池田学徳 (いけだ・たかのり) 1981年2月11日生まれ。 向陽小2年のとき、 津山FCでサッカーを始め、 津山西中から笠岡市の新吉中へ転校後、 福山市のクラブチームに所属。 その後、 吉田高からサンフレッチェ広島へ。 99年トップに昇格もJ1出場なし。 退団後に吉備国際大。 広島でのサラリーマン生活を経て33歳でバー 「パサドール」 をオープン。 妻と長男の3人家族。

池田学徳さん
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