【ザ・作州人】「筆は祈り、墨は導き」 水墨画家、日本墨画協会理事長 松井陽水さん 

ザ・作州人 水墨画家、日本墨画協会理事長 松井陽水さん
水墨画家、日本墨画協会理事長 松井陽水さん
         

 今月の「ザ・作州人」は梅雨空を吹き飛ばす、晴れやかな才女に登場していただいた。20代は「劇団四季」「文学座」と演劇の世界に身を置き、30代後半から水墨画家として活躍している松井陽水さん(72)がその人。美しい炭の濃淡と透明感のある作品はどこか神秘的で、見る者の心を落ち着かせる不思議な力がある。

 根っからのクリエーターなのだろう。松井さんにとって描くことは生きること。いまも「現代墨画陽水会」を主宰し、カルチャーセンターなどで後進の指導を続けながら現役のプレーヤーとしても活動している。
 話術が巧みで話題が豊富。何より声に張りがあり、良く通る。当然のことながら美人。さすがは新劇を代表する劇団「文学座」に所属し、8年以上も演劇の世界に身を置いていただけのことはある。当時のことを聞くと、杉村春子、太地喜和子、朝丘雪路、岡田茉莉子といった昭和の大物女優の名前がポンポンと出てきた。

 出身は津山市。当時、漫画家を夢見ていた少女は津山高で演劇部に入る。「りぼんとか、なかよしとか、少女漫画が広まり始めた時代。何もない、まっさらのところから絵や物語を書いていくのが好きでした。高校で演劇部に入ってからも演じることより、創作劇をつくったり、シナリオを書くことに興味があったんですよ」

 そのころの津山高演劇部は中四国大会で2位に入るほどの実力校。先輩が卒業してからは部の命運が松井さんの両肩にのしかかってきたという。
 「資金のない中、受験勉強もしながら創作活動もして。何役もこなさないといけませんでした」

 それでも十六夜祭や津山文化センターで創作劇を上演し、へこたれない精神を培った。大学は姉が東京でグラフィックデザイナーをしていたこともあり、多摩芸術学園(多摩美術大)へ。「周りは演劇の道に進むんだろうと思っていたので驚いていましたが、現実的に考え、舞台美術やテレビ美術など裏方の仕事を学ぶことにしました。演じることにも興味はありましたが、自分は引っ込み思案で職人肌かなとも思っていて。いま思えば折衷案だったのかもしれません」

 就活に際しては「劇団四季」の演出部を受け、合格。しかし、ここから運命が動き始める。研究生の期間は演出部も演技部と合同で発声練習や声楽、ダンスなどのレッスンを受けることになっており、やがて先輩から演技部入りを勧められた。
 「そそのかされたと言うか、若気の至りというか。演技にも興味を持ち、一度経験してみるのもいいかなと思ったんですよ」

 裏方志望から演じる側に。ただ、ミュージカルが好きではなかった松井さんは1年浪人し、あの劇団「文学座」へ。同年代には桃井かおりや田中裕子、中村雅俊らがおり、松井さんも研究生を経て、やがて役もつくようになった。1978年に渋谷東横劇場で上演された「日本少年ドン・キホーテに遇う」では急病の太地喜和子さんに代わり、酒本陽子として準主役を演じている。

 「また別のお芝居では奈美悦子さんのケガで前日の夜12時ごろに電話を受け、次の日から代役を務めたこともありました。本番前、足がガタガタ震えたのを覚えています」
 8年ほどの舞台女優生活。その間、津山朝日新聞で「文学座の新星」として取り上げられた。文学座の代表、杉村春子さんに評価され、共演できたこともいい思い出だ。ただ、本質は職人肌。悩んでいるころにヒーリングの世界と出合い、ここで様々な奇跡を体験し、見えない世界を実感した。

 画家の道に進むのは結婚後の30代後半。「主人から水墨画でもやってみたらという言葉がきっかけでした」。少ししてから東京・池袋芸術劇場で後に師となる速水如泉さんの展覧会に偶然足を運び、衝撃を受けた。このとき表現者としての血が騒いだのだろう。
 大切にしている言葉は「筆は祈り、墨は導き」とのこと。その心を聞くと「どのような創作も私にとって、安易に生まれるものはなく、多くの努力が起こす奇跡のようなもの。筆を取る時には、心を整え、祈るような気持ちで臨んでいます」と打ち明けた。

 女優から画家という半生を振り返ってもらうと「暗中模索の中を歩み、人と奇跡に導かれた人生だったような気がしています。これまで思うように行かないことの方が多かったのですが、その度に人や、見えない何かに助けられていまがあると思います」と続けた。確かに、松井さんの作品は親しみやすさの中にあって、どこか神々しさも感じられる。最後に今後の夢や目標を聞くと、こう答えてくれた。
 「大きな言葉ですが、描くことで、自分を整えながら見る方に、そっと愛や光のようなものを感じていただける作品を届けられたら。それが私にとって、何よりの喜びではないかと思います」
 絵は人なり。ここにもまた素晴らしい作州人がいた。松井さんはこれからも画家・松井陽水を演じ続ける。(山本智行)

 ◇松井陽水(まつい・ようすい)1953年3月21日生まれ。本名は陽子。津山高から多摩芸術学園(現多摩美術大)へ。舞台・テレビ美術を学び「劇団四季」の演出部に入るが、やがて演じる側となり「文学座」で女優として活躍。その後、水墨画と出合い、現在は日本墨画協会理事長。著書に「初歩から学ぶ水墨風景画」「絹に描く水墨画」など。文部大臣賞、芸術文化賞などを受賞。

水墨画家、日本墨画協会理事長 松井陽水さん
水墨画家、日本墨画協会理事長 松井陽水さん


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