今回の「ザ・作州人」は東京女子プロレスに所属する愛野ユキさん(28)に登場してもらった。「バーニングヴィーナス」の愛称を持ち、タフなファイトで知られる人気レスラー。意外なことに幼い頃は引っ込み思案の少女だったそうだが、夢を諦めず、ポジティブに生きてきた。横浜国大にも進んだ才女がリングの道を選んだきっかけとは。
とにかく、明るい。取材したのはインターナショナルプリンセス王座に挑み、夢破れてからわずか5日後。悔しくないわけはないだろうが、気持ちを切り替え、快く応じてくれた。
「私的には120%の力を出して戦いました。しかし、チャンピオンが200%の力を発揮し、上回って来た」
タイトルマッチに挑んだのはこれで4度目。すべてはね返され続けているが、心は全く折れていなかった。そう、この諦めない気持ちこそが愛野さんの生き方でもある。
中学校まではアニメが好きな物静かな少女だった。バンド活動をする父や、のちにレスラーとなる姉がミュージカルの舞台に立つ姿に憧れるだけだったという。しかし、作陽高校に進み、生徒会に入ったことで少しずつ殻を破っていく。
その後、横浜国立大へ。この大学は同郷の岡山県津山市出身で、B’zの稲葉浩志さんの出身校。そして、劇的に運命が変わる。姉も同時に津山を離れ、2人で生活しながら興味のあったプロレス観戦やライブを楽しんでいたところ、姉が旗揚げ直後の東京女子プロレスのグループ団体DDTの教室に通い始め、やがてプロレスラーになることを勧められた。
「姉は積極果敢なタイプなので〝やってみるわ〟となって。そのとき、プロレスって観るだけじゃなく、自分がやるという選択肢があるんだと気づかされたんです」
姉の後を追うように2016年1月に東京女子プロレスの練習生に。しかし、学業との両立やケガなどにも悩まされ、一時は夢を断念。物販のスタッフやリングアナを務め、何とかこの業界に踏みとどまり、再起を模索した。
「同期がデビューしていくのを見て、すごく悔しくて。リングアナとしていろいろ教わり、一人前じゃないのに…といろいろ葛藤はありましたが、選手になりたいと自分の思いを伝えました」
忘れもしない18年5月3日、格闘技の聖地として知られる後楽園ホールでデビュー。リングネームの愛野ユキはセーラームーンの愛野美奈子が由来だそうで「明るく、ポジティブ。憧れの存在です」と言う。
そこからは姉・天満のどかとのコンビで活躍し、20年にはプリンセスタッグ王座を獲得。タフなファイトで人気レスラーとして不動の地位を築いていった。もちろん、コロナ禍では大変な思いもしたそうで、ファンとの一体感が甦ったことに感謝を忘れない。
「どんな興行でもそうでしょうが、お客さんの声がないというのは一番やるせなかった部分です。いま改めて、苦しい場面で〝ユキ!ユキ!〟という声援に助けられています」
年間60試合ほどに出場している。もっとも姉が引退したことで個人としての欲も出て来た。目指すはシングルのベルトを巻くことだ。
「諦めない気持ちの源は憧れ。格好いい人になり、人の心を動かしたいという思いかもしれません。それが私にとってのプロレスラー。今度は勝ってファンと一緒にうれし泣きしたいです」
決して平たんではなかった28年間。応援したくなるキュートな女子レスラーだ。(山本智行)
◇愛野ユキ(あいの・ゆき) 1994年10月25日生まれの28歳。作陽高から横浜国大へ。2016年に東京女子プロレス練習生となり、その後リングアナを経て、18年5月3日、後楽園ホールでデビュー。主なタイトルは第7代プリンセスタッグ王座。153センチ。姉・天満のどかは元レスラーで現在、岡山・新庄村で農業兼カフェを経営。