ロシアがウクライナへの大規模侵攻を開始してから4年を迎えたきょう、岡山県久米郡久米南町ゆかりの社会主義運動家・片山潜と戸籍上兄弟にあたる家系に生まれた片山庸正さん(74)=津山市在住=が、本紙に平和への思いを寄せた。
2022年2月24日、 ロシアはウクライナへの大規模侵攻を開始した。 戦闘は現在も続き、 終結の見通しが立っていないことに庸正さんは怒りを隠せない。
潜は江戸末期の1859 (安政6) 年に生まれた。 片山家に養子に出された後、 1884 (明治17) 年に渡米。 苦学の末に、エール大学を卒業した。 労働運動を組織した一方で反戦と平和を訴え続け、 日露戦争の際にはベルギーで開催された国際反戦運動 「第二インターナショナル」 大会に日本代表として参加し、 ロシア代表ともども戦争反対を訴えた。 やがてソ連へ渡り永住。 国際共産主義運動に関わり、 モスクワで生涯を閉じた人物である。
その潜と戸籍上兄弟となった片山直一の家系に生まれたのが、 片山庸正さんだ。
庸正さんの祖父・直一は、 久米南町塩之内の片山家に連なる。 潜が社会主義運動で広く知られる存在となる一方、 直一は陸軍士官として国家に仕えた。 同じ戸籍に名を連ねながらも、 その歩みは大きく分かれた。
その家系の歴史を踏まえ、 庸正さんは本紙に寄せた便箋の中で、 こう綴る。
「私がウクライナとロシアの平和を一日も早く願うのは、 片山潜との不思議な縁を感じるからでしょう。 潜が異国の地ロシアで革命に力を尽くしたことで、 結果的にロシア帝国の圧力から日本を救ったことになりました」
潜は若き日にアメリカへ渡り、 民主主義を学んだ。 その経験が反戦・平和主義へとつながったと、 庸正さんは見ている。
ウクライナが侵攻を受ける現実を、 庸正さんは日露戦争当時の日本の姿に重ねる。
「歴史は繰り返されるといいますが、 今、 止めなければ、 この侵攻はとどまることを知りません」
祖父・直一は軍人として戦争の時代を生き、 敗戦を経て平和の時代を迎えた。 その長女が庸正さんの母・公香さん(99)である。 家族の歩みは、 革命と国家、 反戦と従軍という近代史の両極を内包している。
ロシアが侵攻を開始した4年前の夜、 庸正さんの夢枕に老人が立っていたという。
「老人は平和の尊さを語っておりました。 夢に現れた老人は、 片山潜であったと、 今はきっとそうであったと思います」
祖先の名を胸に、 庸正さんは平和への願いをいっそう強くしている。
■片山潜 (1859〜1933) 社会主義運動家。 1859 (安政6) 年久米郡弓削町 (現・久米南町) 生まれ。 岡山師範学校 (現・岡山大学教育学部) 中退後、 東京で印刷工などをしながら勉学。 84 (明治17) 年に渡米、 94 (同27) 年エール大学を卒業後、 96 (同29) 年に帰国。 労働組合期成会を結成するなど社会主義運動にかかわる。 1904 (同37) 年にベルギーで開催された第二インターナショナル・アムステルダム大会では日本代表としてロシア代表とともに日露戦争に反対した。 その後、 1914 (大正3) 年に再渡米。 ロシア革命の影響で共産主義者となり、 21 (同10) 年ソ連入り。 国際共産主義運動コミンテルンの常任執行委員として活躍。 33 (昭和8) 年死去。 遺骸はクレムリンの赤壁に埋葬された。 著書に 『我社会主義』 『自伝』 など。 生誕100年を記念して59 (昭和34) 年11月16日から翌12月25日にかけて本紙に連載された 「世界人片山潜」 では、 当時の著名な政財界人らがタイトルを書いたが、 その中には石橋湛山元首相や全日空を創業した美土路昌一らがいる。