◎いつかは故郷のリングで凱旋興行
プロレスラー 児玉裕輔
今回の「ザ・作州人」には、スピード感あふれる空中殺法を得意とする実力派プロレスラーの児玉裕輔(35)に登場してもらった。現在はフリーで活躍し、全日本プロレス「アジアタッグ王座」のベルトを持っている。プロレスごっこから始まったこの世界。「人生、やってみないと分からない」。今後の譲れない目標として「友だちに会いたい。そのためにも津山で試合がしたい」と熱い思いを語った。
津山出身者にプロレスラーがいたなんて、驚いた人も多いのではないか。実は私もその1人。しかし、児玉さんはすでにキャリア12年。名門団体の全日本プロレス「アジアタッグ王座」の持ち主でもあった。
「体も小さいし、根性もある方じゃないのに、ここまで続けられたのは何なんでしょうね。ありがたいことに大きなケガもなかったから」
どこか、ひょうひょうとした印象。この道に入ったのも恋い焦がれていたわけではなかったようだ。徳島県鳴門市で生まれ、東小1年生から津山へ。そこから北陵中、津山高へと進んだが、中学時代に所属した剣道部の友人に新日本プロレスのビデオを借りたことがきっかけだった。
「見た次の日から剣道部の隣にあった柔道部のスペースでプロレスごっこです。当時は2代目ブラック・タイガーのエディ・ゲレロに憧れました」
津山高でも剣道部。学校では「不真面目だった」と言い、その後は「子どもが好きだから何となく」栃木県宇都宮市にある保育系の専門学校へ。3年間学び、保育士資格を取ったが、最後に方向転換した。
「実習を受け、内心続かないと思ったんですよ。そのとき、ふと思ったのがプロレスラー。どうせダメならと思い、プロレスを1回やってみようと決断し、卒業を前にハッスルという団体に願書を送ったら合格通知が届いたんです」
2009年春、慌ただしく東京へ出て練習生に。当時は体重60㌔だった。その後、体を鍛え上げ、1年後に「スマッシュ」からデビューしたときは、ボコボコにやられたそうだが、やがてスピードに富んだ空中技とテクニックを駆使。「WRESTLE―1」のクルーザー級王座など、海千山千の世界で存在感を示していった。
「自分の技や動きで歓声が沸くのが気持ちいい。人の心を動かせてると実感できます。将来は若手の育成をやりたいと思っていますが、それはもう少し先。いまは年を重ねて、立ち姿や振る舞いが格好いいレスラーを目指しています」
自己プロデュースも求められる世界。現在は白目の多い不気味なカラコンを装着し、リングに立っている。理由を聞くと「見た目がパッとしないので、アクセントをつけようと、いまの形に。自分で鏡を見てニヤッと笑ったとき、気持ち悪くて、これはいいと思ったんですよ」と返ってきた。
ここ3年、業界はコロナ禍の影響をもろに受けた。チケット収入、グッズ収入も激減。フリーの身にはキツかったが、幸い、全日本を主戦場に各団体からのオファーが途切れることはない。
夢は2つ。由緒ある「世界ジュニアヘビー級王座」の獲得と津山での凱旋興行だ。
「タイトルマッチに挑戦するためには、それにふさわしいと思われないといけない。津山に長く帰っていないので、友だちと会いたいです。興行で戻ることになったら最高ですね。小さいころに津山文化センターでプロレスを観たことあるので、津山の子どもたちに見せてあげたい」
半ば思いつきで入った世界は天職だったのかも。「いまがあるのは、あのとき決断したからですね。後悔だけはしたくなかったんで」。生きている実感を求め、児玉さんは四角いマットの上で闘い続ける。
(山本 智行)
◇児玉裕輔(こだま・ゆうすけ)1987年4月22日生まれの34歳。東小から北陵中を経て津山高では剣道部。栃木・宇都宮市の保育専門学校卒業後の2009年、プロレス団体「ハッスル」入団し、翌年にデビュー。現在はフリーで活動し全日本プロレス「アジアタッグ王座」を保持。172㌢、85㌔。