1955年11月に日本初のウラン鉱床が発見され、原子力発電所で使う核燃料の研究開発を担い、現在は数十年後の廃止に向けて歩む日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センター。木原義之所長(62)に事業の狙いなどを聞いた。
――「人形峠」の歴史を振り返り、どう評価するか。
ウランの探鉱、採鉱、製錬、転換、濃縮という核燃料サイクルの上流部と呼ばれる分野を研究し、技術を開発した。事業所を開設して今年で63年だが、ウラン濃縮の遠心分離法を確立して他の事業所に引き継ぐことができたのは成果。さまざまな実績を積んできた施設と感じている。
――何を行っているか分からないという声を聞くこともある。現在の事業内容と意気込みは。
核燃料の研究開発は一定の役割を終えたことから、施設の解体撤去、廃止措置を進めている。解体撤去といっても、一般の工場と大きく違い、放射性物質が付着した設備や装置がある。できるだけ飛散しないようにするにはどうすれば良いのか、もしくは放射性廃棄物の発生量を少なくするにはどのような解体方法があるのかといった観点から、少しずつ成果を積み重ねているところ。原子力に関わる研究開発拠点全体の廃止に取り組んでいるのは、国内では人形峠だけ。廃止措置のフロントランナーとしての自覚と責任をもち、従業員一丸となって業務を進めたい。
――将来に向けた事業計画「ウランと環境研究プラットフォーム構想」の案を2016年12月に公表し、意見をもらうため、住民や有識者による「懇話会」を開催したが得られた成果は。
構想に示した事業を進めても良いという総意をまとめてもらえたのは大きな意義があり、ありがたい。信頼される組織であり続けることが前提となる。
――将来にわたって円滑に事業を進めていくには、地域の理解や協力が欠かせないはず。どう考えているか。
我々が長い期間この地でやってこられたのは、地元の皆さんが温かい気持ちで見守り支えてくれたおかげということを強く感じている。その一方で、「安全なのか」という疑問の声があるのも承知しており、住民の視点に立った丁寧な説明ができていなかったのだと捉え、反省している。説明する責任があることを自覚し、厳しい意見に誠実に耳を傾け、襟を正してまい進していきたい。
(終わり)
日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センター
小原義之所長(62)
茨城県東海村の核燃料サイクル工学研究所や同県大洗町の大洗研究所で技術者として勤務した。2018年10月に同センター所長に就任。津山市出身。