作州人四六
「浪速の舞姫」はまだまだ健在
ボートレーサー 高橋淳美
▽前文
2022年最初の「ザ・作州人」には新春にふさわしい超大物にご登場願った。女子ボートレーサーとして長年、第一線で活躍してきた■あっちゃん■こと高橋淳美選手(58)がその人。日々新たをモットーに優勝20回、生涯獲得賞金は6億円を突破している。一方で文才をいかしたブログが大好評。ファン思いで、ファンに愛される人気レーサーだ。
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いつ会ってもおしゃれでハツラツとしている。デビュー当時、女子レーサーの地位はまだまだ低く、その後も厳しい勝負の世界を生き抜いてきた。心身ともに苦労は耐えなかったはずだが、そんな一面はこれっぽっちも見せない。
「まさか、まさかですよ。選手になったときは30歳で結婚してやめるつもりだったんだから」
続けられたのはボートレースの奥深さ。それとOL生活では味わえない日々の新鮮さだったか。目まぐるしく変わったルールにも柔軟に対応した。
「レースは100回走って100回違う。自分で課題を見つけて、試して、結果につながったときの喜びは何事にも代えがたい。いまも1着を取ったらうれしいもん。それがあるから続けられるんでしょうね」
選手養成所には同期50人が入所。1987年にデビューしたのはわずか19人だったが■花の60期■と呼ばれ、自身も2年半でA2級に駆け上がった。
「同期で最年長だったこともあり、男子に負けたくない一心で毎日練習していました」
以来、大きなケガや故障もなく第一線で走り続け、優勝20回。GⅠと呼ばれる格の高いレースでも2000年レディースチャンピオン、2014年マスターズチャンピオンで2着に入っている。
津山高ではバレーボール部。2年生のとき、右アキレス腱を切って運動能力が落ちたそうだが、柵原中ではスポーツ万能少女。特待生での誘いがあったことが後に判明している。その後は大阪成蹊短大(英文科)を卒業し、岡山市内の物流会社で経理を担当していたが、知人のひと言で運命が変わった。
「エアロビのインストラクターのような自分で技術を身につけて仕事がしたいと思っていたとき、女の人でもプロのレーサーになれると聞いて。よし、受けてみよう、となりました」
ところが、1回目は自信のあった視力検査で引っかかり、まさかの不合格。「視力だけは自信があったのに」。その後、大阪でOL生活をしながら再チャレンジし、当時の規定ギリギリの22歳で合格した。
ボートレースの魅力のひとつは男女平等で年齢の幅が広く、いまでいうところの多様性に富んでいるところだろう。現在は女子選手も200人を超え、レースの売り上げは男子以上のときもある。
「女子がここまで増えて、こんな活気のある時代が来るとは…。それにコロナになって、多くの人に影響が出ている中、仕事ができる喜びを感じますし、娯楽を提供できているんだな、と思います」
実は■あっちゃん■とは高校の先輩後輩の間柄で、スポーツ紙記者と選手という立場でもあった。40代の一時期、気持ちが揺れていたことも知っている。
「でも、いまは行けるところまで頑張ってみてもいいかな、と思っています」
レーサーとしての誇りと感謝の気持ちを力に変え■浪速の舞姫■はまだまだ走り続ける。 (山本智行)
◆高橋淳美(たかはし・あつみ)1963年5月25日生まれ。津山高から大阪成蹊短大を経て、OL生活。後にボートレーサーに転身し、出走7055回、1着1279回。優勝20回をマーク。ブロガーとしても業界に貢献。趣味は旅行とゴルフ。愛犬はトイプードルのココアとモカ。既婚。155㌢、46㌔。